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クラニオセイクラルバイオダイナミクス

2016年7月13日 (水)

今週の稽古 と 静中心法講座


今週の稽古は

14日(木)はいつも通りの稽古で

場所もいつも通りの新宿スポーツセンター

3階 第一武道場です。

時間は20時〜22時ということにいたします。場所自体は19時15分から解放されているので、

可能な人は、早めにきて、体捌きの稽古をしていても大丈夫です。

17日(日)は、月一の静中心法講座を開催します。

時間は13時〜17時

場所は練馬区施設

(後ほど参加する方にお伝えいたします。)

参加費は5000円

(過去に参加したかた、無元塾研究生は前回と同額の割引価格です。)

さて、改めて静中心法とは、

クラニオバイオをベースに平井伝合気道の

有益な教えを組み入れた、

セラピーのエッセンスをお伝え、稽古する講座です。

形式としては、

相手にリラックスした状態になってもらい、

こちらが触れる。

そうした形でいろいろ勉強していきます。

そして最後に、ここの合気道の極意である“中心帰納”、“腰回し”の確認をします。

クラニオバイオやその他セラピーで理解できなかったことが、分かるかもしれません。

合気道で分からなかったことが、腑に落ちるかもしれません。

その他武道で行き詰まっていたことが、霧が晴れるような感覚になるかもしれません。


平井伝合気道を平井先生は”母体武道”と表現していました。

全ての武道のもとになる教えをはらんでいるからです。

クラニオバイオを習い始めたとき、

すでに大手団体の合気道をしていたぼくは、漠然とセラピーと武道のベースは同じだと感じていました。


そういう状況で、この平井伝合気道と出会い、中心帰納や腰回しの存在を知ったとき、

相手を活かすも、殺すも表裏一体なのだということを理解しました。


その洗練された動きや、感覚は、

人が物を持つとき、

人と人が接するとき、

人と人との間に距離があったとしても、

良いも悪いも、その物や人に対して最上級の影響を及ぼすことができます。


調子に乗って、もっというと、

ここの中心帰納や腰回しを深く理解すれば、

茶道や華道の立ち居振る舞いが必ず良くなるし、作業などをする時は効率良く動けるし、

重たい物も上げやすくなる。

そういうことの延長線上に武道があり、

セラピーがある。

そういう効率的な動きがあるから、合気上げなんかができる。

ガチガチに踏ん張って、

機械のような梃子の作用で技ができるわけがない。


合気道に偏りはじめたので元に戻すと、

その中心帰納な状態を獲得するプロセスを


クラニオバイオは、

いや、静中心法は持っている。


というより、プロセスそのものなのです。

だんだん書いていて、

訳がわからなくなってきたので、そろそろ、このくらいにして、、、


とにかく、

この静中心法講座を20回位受けたら、

一つのセラピーの体系なんかが分かるように、

組み立ててやっていきたいと考えいてます。

そして、同時に中心帰納の獲得のための

プロセスとしても有効であると伝え続けていきます。

人の中心は”静”、、”動中静” である。

だから、静中心、

その方法を模索する、静中心法。


ということです。

2016年5月 6日 (金)

凄い出来事、会得するプロセス。そして次回稽古のお知らせ。


この3日間はとても充実した稽古を送らせていただきました。

それは、合氣道とクラニオセイクラル・バイオダイナミクスとの

稽古の開催です。

いくつかの課題もできました。

その中で、偶然にもすごい出来事がありました。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスのある質感と、

無元塾の合氣道で目標としている中心帰納の質感とが、

同質であるという確認を過ごしたこの3日間。

そして最終日に、突然しばらく稽古に来られていなかった

Aさんから連絡があり、合氣道の中心帰納、腰回しで確認したいという連絡がありました。

今回出版さらた成田先生の新刊 「円の合氣道」をよみ、

球転のことでハッと気が付いたということ。

Aさんの手を持ってみると、確かに崩れる。

円転した感覚も十分だ。

ある種、会得したということだ。

Aさんの会得のプロセスは球のイメージをとことん突き詰めたということ。

素晴らしい!

ここの教え通り、考え方で行き着くのだという証明をしてくれた。

ただこの本を読んだだけではなく、やはり、稽古の時の接触して覚えた感覚を

頼りに、正しくイメージを膨らませ、

矛盾のない円転、球のイメージを考え抜く。

そしてこのAさんはセラピストでもあり、そのベースに瞑想的な質も探求してらっしゃる。

いろいろ重なった結果、ある種境地に達したのだ。

改めて、僕のやってることは、キッカケに過ぎず、

各々が個別に自分の会得のプロセスを構築していくのだということを、

確認したような気がした。

ただ、おそらく僕との接点があってということも自負できる。

これからまた完成度を上げていかなければいけないという課題もある。

是非とも、これからも一緒にやっていければと思います。

さて、次回稽古は、

5月8日(日) 13:00~16:00

場所は新宿スポーツセンター 第一武道場 です。


お会いできること楽しみにしております。

2016年4月28日 (木)

【要注意】次の稽古は4月30日(土)です。+世界の瞑想法について、


次回は日曜ではなく、土曜日ですのでお気をつけてください。

場所は新宿スポーツセンターです。

時間は13:00~16:00です。

詳細は下記を確認お願いします。 ↓↓↓

無元塾ホームページ


さて、

世界の瞑想法という面白いブログを発見しました。

詳細は読んでいただくとして、

結論は、各宗教、哲学にそれぞれの瞑想法があり、

方法も無限にあるということ。

やり方としては、体系的に全く正反対もある。

それはつまりどういうことか、、

何でもいいということ言うことになる。

ただただ、変性意識を目指す。。ということになる。

ただ、気をつけなければいけないのは、

変性意識をただ、一つの変性意識の言葉で終わらせている。

僕の見解は、変性意識こそ無限にある。


それは、ここの合氣道をやっていてからこそ分かること。

変性意識は幅広い、奥行きもある。

どの領域にいくかで違ってくる。

危険な領域もあるはずだ。

洗脳も同じく、変性意識のいち領域で展開される。

トラウマも同様なのだ。

きっと、そこが感覚的にわからなければ、

ただの知識だけでは、おそらく深みはでない。


中心帰納もいち変性意識の領域なのだ。

大海のいち領域を探しあてる、、、そりゃー大変なはずだ。

でも、それは人と人との接点で浸透するものなのだ。


わかるかな。。


そうそう、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスも同じこと。

2016年4月26日 (火)

クラニオバイオ道場開催します。


日時は、

5月3日、4日の2日間

時間は、11時から17時(多少時間の変更はあります。)

場所は練馬区内(お問い合わせのあった方に具体的にお伝えいたします。)

費用は1日15000円、2日間で30000円になります。

内容は、

1、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの伝統的な概念。

2、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスで感じるリズムの説明。

3、何もしないということの意味。

4、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスで感じる感覚。

5、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスという方便と真実。

6、変性意識とボディーワークとセラピーの関係性

7、そしてひたすら実践とテクニックの解説。


そこでは、ここの合氣道の中心帰納という概念と感覚も説明し、

そして、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの中で感じられるある感覚と

同質だという解説も散りばめながら話を進めてまいりたいと思います。


では、急なお知らせで申し訳ないですが、

ご了承のほどお願いいたします。

2016年4月23日 (土)

合気道とクラニオバイオの統合


もし、クラニオバイオを習っていなかったら、

中心帰納という質感を獲得出来ていなかっ

たと思う。

なぜなら、

ここまで、感覚の世界に関心を寄せなかったと思うからだ。

それは、頭で知っているというレベルでは立ち行かない。

その感覚を体験しなければわからないだろうと思う。

その感覚があったから、瞑想にも勤しんだ。

とにかく、否応なしにその感覚に持って行ってくれる。

それは、ウスウスそうだろうとは思っていたが、

改めて、自問自答してそう結論付けた。

そして、その感覚のもと、

自分とは何かを問い続ける必要があるということも

付け加えておきたい。

そのキッカケの為の現在のクラニオバイオは、

矛盾と無駄が多すぎる。

もっとスッキリとした明確なものにしなければならない。

これは決して、伝統的なクラニオバイオを否定しているのではなく、

中心帰納という感覚の獲得という切り口で考えた時、逆にクラニオのリズムの獲得も容易になるという、クラニオバイオ自体の勉強の切り口にもなるという考え方なのです。


ということで、

合氣道の中心帰納という切り口で

クラニオバイオの勉強会の開催を

直近ですが、5月3日、4日の2日間で考えてます。

詳細は後ほどお連絡いたします。

では、よろしくお願いいたします。

2016年4月20日 (水)

次回24日(日)の稽古案内、そしてそろそろクラニオバイオも守破離の時期に来ている。

次回の稽古会は新宿スポーツセンターです。

時間は13:00~16:00になります。

詳しくは、↓↓↓

無元塾ホームページ


さて、

ここの稽古は型稽古だけではない。

感性の稽古だけでもない。

観念の稽古も行う。

観念とは人それぞれ個性があるので、

他人と共通することもあれば、一致しないこともある。

相手と一致すれば、共感が生まれとても楽しいし、

技もかかりやすくなるというものなのだ。

ぼくは観念論者ではない。

かといって、ガチガチの唯物論者でもない。


そもそも人間は観念の中で活きている。

人間の脳は周りのものを認識するのに、直接触れて認識するのではない、

必ず神経で、筋肉を動かし、具体的に触れるのは皮膚だ。

つまり、皮膚、筋肉などを経由して間接的に脳に伝わる。

目で見たその物体は、目という器官を通じて、脳が映像として認識するのだが、

それぞれの人が過去に獲得した感性や思考という思い込みのフィルターを通して

着色して認識する。

だから目の前にある物体でも見えていないことすらある。

そういうことなのだ。

とはいえ、実際的には物理的な肉体をもつ。

観念的には可能でも、リアルな肉体が邪魔をする。肉体だけでなく、思い込みという別の観念も邪魔をする。

つまり、矛盾がでてくる。

矛盾の受け取りかたは人それぞれちがうが、

それがあるから皆悩む。

ここの観念的な稽古とは、その矛盾を解消させる稽古となる。


現れる現象には必ず理がある。

その理をトコトン突き詰めることなく、

ただ、量をこなすだけで、偶発的に到達するのは、相当なエネルギーがいる。

人によってはその人の感性で到達してします人もいるかもしれない。

でも、そういう人はプロセスを説明出来ない。つまり人につたえられないのだ。

いま書いていることは、重心の移動や、軸や、梃子などの物理的な話をしているわけではない。

観念のはなしをしているのだ。

つまり、考え方のはなしをしているのです。

ぼくが並行でやっている

伝統的なクラニオセイクラル・バイオダイ

ナミクスもいくつも矛盾を内包する。

勇気を出して、矛盾を解消する作業を進めていきたいとおもいます。

2016年3月 1日 (火)

クラニオバイオ再考

ホームページの内容からなのか、
↓↓↓
http://cranioaiki.jimdo.com/

僕のところに来られる方は整体や、セラピーのプロの方、

柔道整復師、看護師、他流のクラニオセイクラル(・バイオダイナミクス)を習われた方、

などなど、

僕自身は、自称合氣道家だ。

25年以上紆余曲折してサラリーマンをしてきたオッサンだ。

ここ15年は整体、セラピー、カウンセリングを合氣道と並行して

習い勉強してきた。


つまり、

決して医療従事者ではない合氣道家がやっている

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを確認に来られるのだ。

でも、皆さん、安心して帰って行かれる。

話も含めて約2時間ほど、

現在の自分の考え方、僕が真理だと思っていることなど、、


そして、納得され、人によっては確信されて帰って行かれる。


皆、本当のことが知りたいのだ。


だから、僕は真剣に本当のことをお伝えしたいと思ってます。


様々なセラピーのスクールの内容は、


方便(物語)でそのセラピーの何たるかを教える。


クラニオセイクラル・バイオダイナミクスも例外ではない。


ほんの幾つかの真理を伝えるために、

圧倒的な量の方便で、それが重要な知識かのように学んでいく。


それはまさに洗脳そのものだ。


全ての習い事は、守破離という弁証法的発展のプロセスをたどる。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスもいまそのプロセスの真っ只中にいる。

そして、改めてこのセラピーとここの合気道は根本は同じだということをお伝えしたい。

2015年12月 4日 (金)

犬の最後を考える。

室内犬で飼っているラブがいよいよ逝きそうだ。

数ヶ月前から後ろ足が萎えて、

徐々に散歩もままならなくなり、

現在ではついに寝たきりになってしまった。

糞尿は垂れ流し、

白内障で見えない目を半開きにし、

息が止まったと思えば、大きな音の息で吹き返す。

寝たきりになって2日で床ずれができてしまった。


15年も一緒に生活してきた家族は、

ここ数日ラブの近くで夜は寝るようになった。


以前書いたブログにイギリスの諺を書いた。


↓↓↓(参考ブログ)
http://cranioaiki.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-eefb.html


>子供が生まれたら犬を飼いなさい

>子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となり

>子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となり

>子供が少年期の時、子供の良き理解者となり

>そして子供が青年になった時、

>自らの死をもって子供に命の尊さを教えてくれる


まさにこの諺を彼女は実行してくれている。
彼女とともに成長した子供たちは

最後の瞬間に出来るだけ精一杯のことをしてあげようとしている。


散歩係で、人間の介護よろしく、

直前までのシモの世話役だった僕自身は

どちらかというと彼女の死に対して鈍感なようだ。


改めて考えると、

彼女の迎える死に方は、

まさに人間の最後の予行演習のようだ。


断片的だが死というものを下記のように考える。


生きていれば必ず死は訪れる。

そんなことは頭では十分わかっている。

しかし、普段それは忘れがちだ。


あらゆる生あるものと深く接するには死までの責任を考える必要がある。


逆に、あまりに死に関して過敏になっても問題だ。


死ぬということを忘れない程度に、すこし鈍感な方が楽だ。


直前の死に対して、

悲嘆、不安、恐怖に晒されるより、

それでも生きようとするその潜在力に最後まで目を向けていることが

大切なのだと考える。


彼女の

頭を触れて静かにしていると、

なんらかのリズムを感じることができ、生命の力強さを感じ取ることができる。


合気道でも、クラニオバイオでも、

そういうことを学んでいるのだ。

2015年11月24日 (火)

思っている以上によかった上石神井体育館の武道場

穴場でした。

上石神井駅からも思ったより近く、

使用していう団体も少ない。

正式のお知らせは別途するとして、

次回もここを活用しようと思いました。


さて、


今なんとかしてもっと、知らしめたいこの合気道のすごいところは、

自分の本当に整った状態が分かる。。というところなのです。

自分の整った、その相対的な関係性の中で、相手に崩れる、、という状態が現れる。


相手に崩れるという反応が現れる。


崩れるから技をかけることが容易になる。

だから技だけを覚えるだけではないのです。

自分の意識の状態をどこにチューニングすれば、相手に影響が与えることができるのか。

逆にいうと、

相手がなんらかの影響をうけて崩れれば、それのチューニングは正しい、、ということの証明になる。

そして、そのチューニングするための背景に、

禅的というか、心理学的というか、

そういう考え方が必要になってくる。


なぜなら、

敵対意識のある相手に対し、恐怖や不安や焦りや、

それらに対する反応としての自らの敵対心を

冷静に認識する必要があるからなのです。

心や、精神を鍛えるという言葉あるのですが、

鍛えるという言葉は適切ではないような気がします。

つまり繰り返しですが、そういう反応を冷静に認識するという、

自分を静かに観るという、

そういう訓練が必要なのだと思うのです。


この訓練というか、やっていることは、

まさに禅的な、瞑想的な考え方と一致する。

なので、瞑想的な質感が同時に現れるのです。


型稽古の繰り返しを没頭することで、その結果現れる

漠然とした変性意識よりももっと、

積極的な意味での ”瞑想的質感”なのです。

それはなにかスイッチを入れてその質感にパッと変われるような、

そのくらいのメリハリというか、境界というか、

異次元というか、そういう切り替わり感がある。


そして、その瞑想的質感には一種の静寂感がある。

それは、なにかお膳立てされた整然とした空間の中でなくとも、

例えば、混沌とした、雑然とした、大きな音が鳴り響く、都会の人ごみの中であっても、

その静寂は発動する。

それが出来る出来ないは周りの環境に左右されることのない自分の中だけの問題だからだ。


これはセラピーでも同様だと考えます。

なので、ここの合気道で習う、中心帰納などの考え方、訓練、会得した質感は、

セラピーの本質と同等であると言っているのです。

つまり、ここで得た本質を、

活殺どちらで遣うもその人次第であり、

ちゃんと理解していれば、どちらにも有効に適応できるということなのだと考えます。

2015年11月15日 (日)

静寂、、、覚書

先生は

愚直に真理を探求しつづけた。

先生の先生からヒントをもらい、

そのヒントをまた愚直に信じつづけ、

薄紙をはがすように、

ちょっとした振動で崩れる小石を積み上げるように、

わずかな進歩を、わずかに感じ、

それを糧として次に進む、

積み上げて見つけることが出来たものを理解してもらうために

様々な角度で説明をする。

おかしなことに、それは矛盾した説明にしかならない。

聞く者、習う者はポカンとするばかりだ。

それでも愚直に説明を繰り返す。

仕方がないことなのだ。

真理とはそもそも言葉では表現できないものなのだ。

仮に表現したとしてもそれは一側面の表現でしかない。

「腰回し」や「中心帰納」という言葉はそういうものなのだ。

その背景には、大量の情報を宿している。

つまり、メタファーなのだ。

時には球理の説明をし、

時には360度の放線の説明をし、

時にはヒラキといい、

時にはシモクといい、

時には写し目といい、

時には3軸のことをいい、

中心軸のことを説明したあとで、

中心点は無いといい、、

中心はないがその周りを回って動いているといい、

結果、おおよその人が混乱する。

でもそれが、真理を正しく表現した結果的表現なのだ。

そして、

先生の先生がその無い中心の周りを回っている中心にあるのは、

動ではなく静であると仰ったそうだ。


「腰廻り」 という極意を確信されたのはいつですか?

そう質問をした。

そもそも最初からそういうものが備わっているのだと思いなさい、、というような

ことを言われた。


静が我々の中心に最初から備わったものなのだと、、

ぼくが別に習ってきたセラピーである

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスと符号した。

そのセラピーでは

スティルネス、、

ダイナミックスティルネス、、、


という


それは静寂のことなのだ。

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