2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »

2016年9月

2016年9月25日 (日)

大腰筋痛?に中心帰納


やっと舌の口内炎が治りました。
いつも、こういう炎症系というか、
痛み系というか、その手のものに罹ったとき、治り曲線を自分なりに時間の経過に沿って観ていると、炎症度がピークになった次の瞬間、微かに、ほんの微かに緩んだな感じるや否や急激に良くなる。あれだけ何日も苦しんだのに、本当にそう感じて数時間で劇的に。なんか不思議です。

今回口内炎で苦しんでいる間、もう1つ痛みが現れました。
左下腹部の違和感と、下腹部の内臓の鈍痛と、その合間に現れるチクチクするという矛盾した痛み、、、
あー、遂に僕も内臓疾患か?!
前立腺炎の仲間入り?
と覚悟しました。
下腹部に手を押し込んで内臓を触ってみると、何か硬いものがある。そしてそこから肋骨までその硬いものがあり、特におへその横辺りが硬かったのでそのまま体をくの字に曲げて、強く押してみた。そうするといつものクセで、そのタイミングで中心帰納をしたとき、その硬かったものが溶ける感じ。。
その後下腹部の鈍痛とチクチク痛が、まったく無くなった。よくよく考えればそこは大腰筋だ。その大腰筋が、緊張か拘縮かしていたのだ。大腰筋が原因で腰痛が起こることは知っていたが、こんな内臓の痛みのような感じにもなるとは、想像外だった。
でも、いい勉強になった。
そして、クラニオバイオの時にも自然にやって効果があった中心帰納が、自分の時にも効果があるということも改めて痛感した。

つくづく中心帰納、、つまりはニュートラル感は潜在的な能力というか、その時の最善の状態を喚起させる。


間違いない。

2016年9月24日 (土)

今後の稽古のお知らせの方法と、口内炎の考察


今後稽古の日時のことは、ホームページに任せることにしようと考えてます。

基本は、
木曜の20時から22時
日曜の13時から16時
場所は新宿スポーツセンターの3階

である事は同じです。


ご了承お願いします。

さて、

舌先の口内炎で、まったく食べる事ができず、2日間ほとんど絶食状態だった。

いまも、完全に回復したわけではない。

こうなったのも、早食いのせいだ。
舌をガリっとやってしまった。
いつも娘に、何をそんなに急いでいるのか
といつも注意される。

冗談で、早メシ早グソは芸のうちだと
誰かに教わったフレーズをとなえていた。

そういう行動の背景には、きっとなにか渦巻いたた感情があるに違いない、、なんて考える事なんて一切できない。

なぜなら、もう無意識に丼物、熱々ご飯に合うもの、、は、口の中に掻きこんている。

漫画のオバケのQ太郎や、伊賀のカバ丸などの、ごはんつぶを飛ばしながら食べる絵に洗脳されている。

そうすることで、旨さが倍増すると思い込んでいる。

あと、ウガンダのカレーは飲み物だといったテレビもリアルタイムで見ている世代でもある。

でも、きっと年のせいだろう早食いに舌や口の動きが、ついていけなくなってきたのかもしれない。

もうこの痛さはコリゴリだ。

何とかして、このクセを直さなければいけない。


おそらく、こういうことが合気道の技の中にもちょっとづつ現れているにちがいない。

2016年9月22日 (木)

口内炎で苦しむ。そして今日の稽古は、、、


昨日から、舌先にできた口内炎で苦しんでいる。たべているときにガリっとやってしまった。今は話す事もまともに出来ない状況だ。

たった2ミリくらいの白い点が舌先にできただけで、こんなに調子が悪くなるなんて、、
まったく弱いものだ。

他の用事も相まって、当日まではっきりしませんでしたが、今日の新宿スポーツセンターでの稽古は無しとします。


今日は合間をみて、只管体捌きをしようとお 考えてます。


少し前から、
何か気づきが降りてきそうな気配を感じつつ、それをジックリ模索したいと思います。

2016年9月21日 (水)

稽古するしかない 木曜の稽古おしらせ。


まずは、稽古の考え方だ。
稽古の2時間、3時間だけが、その時間だと考えればそれだけだし、
日々の一挙手一投足に稽古のエッセンスを入れていけば起きている時間は、すべて稽古となる。

ある程度到達すれば、また次に遠くに見えてくる微かな光も見えてくる。

そこを目指して、またあーでもない、こーでもないと、試行錯誤を繰り返す。

人によって多少プロセスは違うが、だいだい
同じような段階を踏む。

しかしながら、
学習曲線は人によって違う。

一気にある段階に行くひともいれば、
最初停滞が長くても、あとでグッと伸びる人もいる。

昔、先生から、今やっている稽古の解釈が1度でも違うと時間が経つ程に目標との距離が
広くなる。。と言われた。

それが同じ稽古をしていてもだ。

ひとはそれぞれ、同じ時間、同じ場所、同じ物を見ていても、それぞれその人達の解釈で全く違うものになりうる。

つまり、その人達の体験、経験によって、
培った"思い込み"がそうさせる。

思い込みとは、心理学の言葉に変えれば、
"投影"のことだ。

投影は無意識に起こる。

だから、本人がズレていっていることが
わからない。

それをわかるために、稽古するのだ。

稽古のなかで、出来ない自分と向き合うのだ。

ズレた角度を修正する。

稽古で上手くいかず、悩む。

当たり前のことだ。

悩むことが大切なことなのだ。

1年も経てば、最初出来なかったことが、
出来る頻度が上がってくる。

でも、また、次の課題が浮き上がってくる。

また、それで悩む。

おそらくそれの連続だ。

成田先生ですら、未だにそうだとおっしゃていた。

そして、平井先生の言葉を書き留めた大量のメモを読み返してらっしゃるという。

それは、初心に戻るためなのだ。

ちなみに、ぼくは、いただいたその平井先生の書き留めた秘伝書に驚くほど共通する、クラニオバイオというセラピーのエッセンスを、重ねて自分なりにまとめたりしている。

わからなくなったり、悩んだりすると、
スーバーバイズしてもらったりもする。

そして、行き着くところ、

こころの問題、、ということになる。

どれだけ頭で理解しても、

相手との一瞬のやり取りのなかで、

辻褄を合わすようにいつもの癖に戻る。


それは、まさに、無意識も含めた

こころの問題、

つまり、やはり、

自分の問題なのだ。


おそらく、ここの合気道の本質は、

相手との相対的な関係性のなかで

現れる現象を、客観的にみて、表現することなのだ。

それを考えていくと、

禅などの境地や、悟りをどれだけ達しても、ダメだとうことがわかる。

なぜなら、肉体があるからだ。

つまり、精神を極めても、絶対化しても
絶対化できない肉体がある限り、
そこで制限される。

でも、肉体が無いと精神は成立しない。

そこにジレンマがあり、矛盾がある。

だから、そういう状態を理解しなければならない。

そこを理解して、忠実に一瞬一瞬起こる現実だけを見ていく。

その時に、武道的に有利に働く考え方と
体の動かし方を稽古のなかで体得していく。

普段、幻想の中で生活している行動を、現実に、呼び戻すのだ。

その時に、中心帰納とか、腰回しという方便を使う。

その方便自体も実は幻想だということも、
わかってくる。

その幻想が、最初に言った"思い込み"であり、"投影"なのだ。

はーっ、やっと一周した。


そしてそこで、

現代の格闘技、武道は、
共依存的な殴り合い、技の掛け合いを
しているということが見えてくるはずだ。


そこがわかって、こっち側の
稽古を続けるのだ。


さて、木曜の稽古は、

まだ、時間と場所が未定です。

昼に開催する可能性もあります。

決まり次第このブログでお連絡いたします。

2016年9月17日 (土)

発達障害と合気道


先日、NHKで発達障害のひとの就労について
の放送があった。

自閉症スペクトラム障害、注意欠如多動性障害、学習障害、、、

こだわりが強い、コミュニケーションをとるのが苦手などの特性がある自閉症スペクトラム障害

不注意でのミスが多く、集中することが苦手な注意欠如・多動性障害(ADD/ADHD)

そして読む・書く・計算など特定の学習が極端に困難な学習障害(LD)

この3つ障害を持つ人は、仕事に関してなんらかのトラブルを起こし、自分でストレスを抱え、仕事を辞めてしまう。繊細なひとは精神的に病んでしまうという。

例えば、仕事の優先順位ができないということがあるようだ。人に依頼をする時相手によっては、いろいろな反応をする人がいて依頼することを躊躇してしまうとか、そういうことが積み重なって仕事ができなくなる、、

しかし、よくよく吟味していくと、この様なことはよくあることだ。自分にも当てはまることも多々ある。

度合いによっては個性だと言ってもいいくらい。

さしずめ僕なんかは、軽い注意欠如多動性障害のようなものだ。

すかーっと忘れる。

結構重要なことでも、すかーっと。

重要なことなので、当然それに携わる人は結構憤慨している。

そういえば、会社のあのひとは少し、自閉症スペクトラムな感じがする。。とか当てはめていくと結構それっぽい人は沢山いる。

そういう自分の質を理解せず、他責に振る舞う人は、周りにとってえらい迷惑な人になる。

逆に自分のその質をこれまたある種理解せず、自責に向かう人は、混乱し、文字通り自分を責め衰弱する。

どにらにしても、まずは真の自分を受け入れる必要がある。

真の自分を見るためには、客観的に自分を見る必要がある。

みんな結構思い込みで自分をイメージしている。

たとえば、
学校の成績が良い人は自分は将来会社に就職しても
優秀さを維持できると思っている。

でも会社に勤め始めると、同時にざまざまな質の仕事を任される。学校の勉強と違う能力が必要となる。

自分の中でギャップが生まれる。

そのギャップを受け入れなければいけない。
頭の中で、スーパーエゴはギャップを埋めるよう頑張れという。

でも現実はそのギャップは大きく、
決して埋まらない。

では、どうするのか、、

認めるのだ。
自分にはその能力は無いと。


早い話が、諦めるのだ。

言葉を変えるとこうも言える。

自分で自分を許す。

そうすると、一瞬で楽になる。


これまた、よくよく考えると、

合気道の中の稽古で展開している思考パターンだ。

これは、決して自分を言いくるめているのでは無い。

神聖なる現実を受け入れる作業なのだ。


瞑想や禅などで、禅病など調子が悪くなる人は
もともと少し発達障害気味で、このギャップを
認めることが出来なかったからか、もしくは受け入れるためのプロセスなのではないかと勝手に
考えてしまう。

なぜなら、自閉症スペクトラムの次の段階は、うつ病や、統合失調症など、まさに精神疾患になる可能性もあるということだからだ。


まとめると、


ここの合気道でやる中心帰納は、

相手の攻撃を受け入れることでもあり、
そういう自分も認めて受け入れる、、

そういう作業も含めて成し得ることなのだ。

発達障害気味の人には

良い稽古になる。

2016年9月15日 (木)

細かいことは瑣末なこと。そして日曜日18日の稽古のお知らせ。

合気道は、
細かいところに気をつけてやっていると、
なかなか上手くならない、、という持論をもっている。

違う表現でいうと、考えながら、思考を働かせながら、


こうでなければいけない、こうはすべきでないと、やっていると本来のなりたい状態にはたどりつけない。

それだと、思考の仕組みのループから抜け出れないからだ。

それはどういうことか、
じつは、人間の思考は必ずしも、
クリエイティブな思考をしているわけではない。
無駄な思考をしているほうがはるかに多いのだという。

それは何か、
頭の中で繰り広げている
スーパーエゴとのやり取りだ。
そのやり取りは1日数万回だという。
行動の一挙手一投足に口を出す。

どんな内容かは人それぞれだ。

それに気づく必要がある。

それがわかってくると、

だんだん小さな細かいことなんか

気にならなくなる。


そうすると、その思考のループが外れる。

いままで邪魔をされて見えていなかったエッセンスがわかり、上達が加速する。


これは、合気道や武道に限ったかとではない。


世の武道、ボディーワークや、もっというと
普段の生活の中でも起こる普遍的なことなのだ。

そういうことは、1日でわかろうはずがない。

じゃー一ヶ月集中してわかるのか?
気付けるのか?

1年か、2年間か、、

間違っても、そういう期間の保証はできない。

とにかく、続けて一生かけてもやる覚悟が必要なのだ。

だから道場形式でないとダメなのだ。

期間を区切って、教えることに疑問を感じる。

頭で理解したいだけの人ならば、

それでもいいかもしてないが、

それで分かったといえるのか?

その中途半端が誤解を生み、教えを歪めていく。

焦っているのであれば、

疑心暗鬼になっているのであれば、

怒りが出ているのであれば、

それは外にたいても、内に対する

その思考が自分のクセではないかと
気づくべきだ。

それだけでも足らない。

そのクセ(パターン)がなぜついたのかまで、
内側に問うべきだ。

1つ1つの型の稽古でやり方によっては
ここまで深く掘り下げることができる。

ここまでくると、武道と言うよりは、

セラピーやカウンセリングの稽古のようだ。

でも、

沢山のテクニックを覚えるよりはるかに重要なことだと思う。

気が付いてから、身につくのだ。

間違いない。


さて、日曜日18日の稽古は開催します。

いつも通りの

13時〜16時まで

場所は新宿スポーツセンター3階
第一武道場です。

↓↓↓

静中心合気道無元塾

お会いできること楽しみにしております。


全く別の話だが、

二重国籍はそんなに問題なのか、、

瑣末な感じがするのはぼくだけだろうか。

2016年9月13日 (火)

今週の稽古のお知らせと、意識の捉え方

先日テレビで、ストレスを感じない人よりも、ストレスを感じる人のほうが長生きをするということを言っていた。


これは、すこし表現として正確ではない。

ストレスを感じてかつ奮起する人は長生きをする、、ということなのだそうだ。

いままでは、ストレスという障害は、無い方がいいと考えられていた。

でも、よくよく考えてみたら、
総じて同じことが言える。

免疫も心の持ち様でかわる。

怪我の回復も、体の発達も、精神も、

心の持ち方、すなわち意識の在り方、

すなわち考え方、

すなわち"私"の捉え方、、


そういうことのヒントが

ここの合気道の中にはある。

そうでなければ、"中心帰納"なんていう

言葉が作られるわけが無い。

その感覚が、

自分のなんらかのプラスに働き、

相手に明らかになんらかの影響を与える。

人間ほど明確な意識を持つ生き物は無いと

どこかで教わった。

明確な意識を持つのは誰か、、

"私"だ。

脳を開いてみても"私"という実態はいない。

メモリー、I/O、センサー、CPUをもつ脳の

ソフトウェアのようなものが、

"私"なのだ。

つまり、実態はない。

だから、いくら明確であろうと、

意識も同様だ。

繰り返しだが、そういうことのヒントが

ここの合気道には、ある。


さて、今週の稽古は、

15日(木)はいつも通り、

場所は新宿スポーツセンター 3F武道場

20時〜22時


静中心合気道 無元塾


18日、19日はどちらか、両方か

思案中です。

では、お会いできること楽しみにしております。

2016年9月10日 (土)

次の日曜11日の稽古はお休みです。また犬の死でおもうこと。


いろいろ調整したのですが、上手くいかず、

残念ながらつぎの日曜の稽古はお休みです。

さて、

小さな命が突然になくなった。

我が家で飼っていたトイプードルのこと。

去年の年末にラブがなくなり、

まさかそんなに早く逝くとは思ってもいなかった。

食欲がなくなり、
弱ったなと思い、
医者に連れて行って、
手術をすることになって、
数日でこうなってしまった。
あっという間だった。

生き物だからしようがない、
と考えることもできるし、

もう少し早く医者に連れて行っていたら、、
という後悔や、

医者の判断ミスがあったのでは、、
という疑いや、

感情でいうと、

当然、悲しみや、さみしさやがあるけど
相当いろいろ混ざっている感じ。

ちょっとした怒りみたいな、、
ものがある。

なぜだろう。

その怒りはいろいろな方向を向いている。

このことは、犬ごとではない。

身内に起これば、もっと感情の嵐がやってくる。

抑えきれない感情を、医者にぶち当てるかもしれないし、

ひどく自分を責めて、落ち込むかもしれない。

でも、それはよくよく突き詰めると、

自分の中の、いきさつや、状況や、気分や、

生まれ育った環境や、それらによる考え方、
そした思い込みなどで、えらく変わる。

理解が進むと感謝の気持ちすら出てくる。

つまりは、自分の問題だ、ということだ。

死をさらに他人事ではなく、

自分に置き換えてみると。


なおさら、自分の問題だとわかる。

死を目の前にした時、

他人を責めても仕方がない。

死という避けられないものを、

否が応でも受け入れなくてはならない。

そこで、どれだけ後悔や、怨念が残っても、

どうしようもない。

いっそ潔く諦めるほうが清々する。

ある意味、死に際で悟りをえるのだ。

その境地を生きているうちに会得したいと

みんな、宗教にはいったり、瞑想したりする。

つまり、悟りの本質は"諦め"なのだ。

そして、諦めるのは、今なのだ。


2016年9月 8日 (木)

最近の気づきと今日8日の稽古

最近の気づきとして、

誰と相対していても、
コントロールしているのは、
自分の中ということ。


もっと適切な表現をいうとすると、

自分を整えているだけ。


間違っても相手をどうこうコントロールしていない。

だから、相手と4つに組んでいるときは
やりづらいはず、、と考えてしまう。

普通はそうだ。


でも、そこを、

その状況で、自分の中で整えるように
稽古する。


その整えるための体の中の条件を獲得していく。

そして、整えるとは

平たく言うと平常心、リラックス、プラスα、、、

こちらの言葉でいうと、

中心帰納、、、ということ。


2人稽古であろうが、多人数であろうが、
同じこと。

まして、1人稽古のとき、
相手を想定した稽古にしてはならない。

相手を想定したイメージトレーニング的にはしない。

型の動きのなかで、自分の中の繊細な変化を見ていく。

瞑想をやっていることとなんら変わらない。

相手の攻撃に対して、型にある技で対応して、出来ると思ったら大間違いだ。

誰がやっても金太郎飴のような同じ型になろうハヅがない。それを強要してもいけない。

先生の形のクセと同様の動きになっていたら、それは間違いだと気づかなければならない。

あー、最近、木曜、
1人で稽古しているY神館の方が
いらっしゃる。
一緒に稽古しないか、
聞いてみたい。

足幅広く、相手を想定したその
1人型稽古の成果を確認してもらいたい。
見た感じ足腰は強くなりそうだ。

型にしばり、それでいて実戦的を強調するから、この矛盾を止揚するために、フルコンタクト合気道みたいな中途半端なものが出来上がる。

これは、批判ではない。

逆に、とても理解できる。

こういう結果が出るのは、スタートの考え方に問題があるからだ。

おそらく、トップのひとも相当悩んでいるに違いない。

混ぜたり、組み込めば良いというものではない。場合によっては、自家中毒というアレルギー反応も出る可能性もある。

間違いなく向かう方向が逆なのだ。

エッセンスを求めなくてはいけない。

1つのことに集約できる要素が大切なのだ。


母体武道といわれる意味と、感覚を味わってもらいたい。

明日というか、今日8日の稽古は、

いつも通り、

新宿スポーツセンターにて、

20時〜22時 です。

↓↓↓

無元塾ホームページ

よろしくです。

2016年9月 3日 (土)

不思議な感じの出来事そして日曜の稽古

ぼくは、リュクサック様のカバンを前に、つまり背中側ではなく、おなか側に背負う、見た目はどうかと思うが、この方が楽なのだ。
きっと少し後ろ重心だからかかもしれない。
カバンを前に背負ってバランスをとっているのかもしれない。

昨日地下鉄のなかで、そんな姿の前側のカバンに触ってくる女の人がいた。
ふと見るとその女の人も同じ前にリュックを背負っている。
自分と同じだといっているのだ。
その人は、妊婦がお腹をさするようにその前側のリュックをさする動作をし、ぼくも同じだね、、という感じのことを聞こえるか聞こえないかくらいの声でボソボソ言っている。

スマホをさわっている時に、突然横から
、雰囲気としては、とても無邪気に、でも
とても気を使った感じで、距離をとって目を覗き込むように、かといって目が合うと逸らすくらいの距離感。

年の頃は20代後半か、化粧っけはなく、
ジーパンとシャツ姿で、自然な清潔さを感じる。右手には介護資格のテキストを持っていた。

優しい感じで何回も、同じだねといっているようだが、
こちらが、そっけなく、目を合わさないようにしていると、2つ、3つ駅が過ぎたところで降りて行った。

なんだったんだろうか。。

少し気のふれた人だったのか、、

ほんの一連の約5分くらいの出来事で

自分の中変化を思い出してみた、

最初あまりにも唐突だが、自然な柔らかい

接触で、知合いだったかなと、頭の中がフル回転し、頭の中で照合できないので、向こうからアクセスしてきた原因を探すのに、また思考をめぐらし、相手の雰囲気や立ち居振る舞いや言葉の内容や、その意味を考えて、
それでもまだ、意味がわからないので、今度は、今なぜこの様なことになっているのかの理由付けを無理クリする。

自分の結論は、先ほども書いた
少し気のふれた人、、

感情的には
最初は、混乱、不安で、
無邪気な笑顔をふりまくので、
楽しい感じもあり、
周りの目を気にして、恥ずかしい感じ、、そして同時に、優しい気持ちと、哀しい気持ち、微かに寂しさも感じた。

地下鉄を降りた後、大丈夫かと心配になり、
もう少しチャント接してあげればよかったと後悔までした。


不思議な体験だった。

人との関係性とは、微妙で繊細なものなんだと思った。


そういう繊細さを感じる稽古を、
4日、日曜日も13時〜16時まで
新宿スポーツセンターにて、
開催します。

場所、費用の詳細は↓↓↓クリック

静中心合気道無元塾

« 2016年8月 | トップページ | 2016年10月 »