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2016年8月

2016年8月31日 (水)

明日の稽古と最近の所感


明日9月1日の稽古もいつも通り、
新宿スポーツセンターにて、
20時〜22時まで、

さて、
最近の稽古の内容は、
全ての立ち居振る舞いの中に
中心帰納と、腰回しを入れるという
ことを意識してやっている。

平たく表現すると、中心帰納とは
平常心のことだから、
練習する土台としては、
エゴが湧き出る環境にして、
その状況でいかに平常心に戻れるかという
という観点でやる。

そのエゴの湧き出る土台というのが、
型稽古ということだ。

よくよく考えると、
いままでも外側だけでみると
同じことをやってきた。
他武道、他流でも同じことをやっている。

でも、先ほどの観点で見ていくと、
全く質が変わる。

例えば、
上手になるために、
技が出来るように何回も繰り返す。
当然、上手になれば気持ちがいい。
でも、そこだけを見ていると、
それ自体がエゴとなる。
大切なのは、そのプロセスでおこる
自分の中の変化を感じることなのだ。
そこを繰り返した結果、外側も上手になる。

やっている時、自分は何を感じて、
思考して、やっているのか?
目指すは、なにか_?

相手は関係ない、自分を直していくだけだ。
鏡となる相手は、自分そのもの。

怒りや焦燥感が出るのであれば、自分の問題だ。

ネガティブな感情が出てきているなら、
自分の思考がそう仕向けている。
傲慢になってはいけない。
謙虚でいるべきだ。

決して、方法論を教わっているのではない。
その場を共有しているだけなのだ。
もし、何か知識を満たしに行っているのであれば、それは、無限に、果てしなくつづく、
不完全性を強化しているだけだと気づかなければならない。
無限地獄なのだ。

護身術?格闘技?
ここでの稽古はプロセスにおいては、
強さは求めない。
上手さも求めない。

深さを、もとめるのだ。

だから、護身術でも、格闘技でもない。

でも、ある程度熟した時、
トータルな意味で最強になる。
そして、普段からの立ち居振る舞いも
楽になる。

大体のことが、

” わかる ” ということなのだ。

わかるかな?

2016年8月23日 (火)

ここの合気道の稽古はカウンセリングそのものでもある。


合気道のなかでの悩みに関して、どこに向かえばよいのか、どの問題が重要なのか…など、その答えを知っているのは本人なのだと考える。

そして、それを知るためには最低限、

稽古の中では、それぞれが自分の上手さ賢さなどを誇示するのではなく、自分に正直に、自分の進んでいくプロセスを信頼することが重要だ。


あらゆる生命体は、自らの可能性を実現するようにできている。

本能的によりよく生きるように出来ていいる。そういう力を持っている。


そして、さらに付け加えると、

合気道の中で変容が生まれるためには、人との関係そのものが持つ癒しの力が大切なのだ。


だいたい人は、関係性のなかで悩み、傷つく。

そして、それはまた、人との関係性の中で癒される。


それを繰り返し成長していく。

稽古の場において、安心できる、自分を演じなくてもいい、自分の感じていることを一緒に感じられる相手との

そういう関係性の質感が重要なのだ。


そして、主催者としてのぼくは、参加者の内的なプロセスや、変容に対して信頼し見守るだけだ。

そして、ここの合気道の目的が、中心帰納、腰回しの会得を主に考えるなら、

それを最大限感じるられるようように、すべてを明け渡すことが、もっとも近道なのだと思う。

それが、マスタリーへの道なのだ。


繰り返し、言葉をかえて、

自分の経験した集大成をその場で出す必要などなく、それを試す必要もない、

素直に、中心にまっすぐ無垢な気持ちで向かえばいい。

そして、繊細に感じたことを味わう。

相手におこる反応は様々で、それにいちいち囚われてはいけない。


いま、合気道で感じたことを書いたことは、

まさに、カールロジャーズがやっていた

パーソンセンタードアプローチそのものだ。

2016年8月22日 (月)

今週の稽古のお知らせ

さて、今週は


25日木曜日は20時~22時にいつも通りの合気道の稽古です。

場所は新宿スポーツセンター 3F

です。


28日(日曜)は、

月イチの恒例にしてます。
静中心講座を行います。

この講座はクラニオセイクラル・バイオダイナミクスのトレーニングをベースに
共通の考え方としての、合気道の中心帰納と腰回しの概念を摂りいれた
講座になります。

毎回、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの思想とテクニックを取り入れて、
合気道の中心帰納の感覚を勉強していきます。

ひとつの切り口だとわからないことが、武道とセラピーの二つの切り口で
理解できることも多々あることあるということをお伝えしたいと思ってます。


場所は、
西武池袋線 石神井公園駅 5分の施設
(お連絡いただければ詳細お知らせ致します。)

時間は13時〜17時

参加費用、5000円

何もしないとは、どういうかとか。
意識の在り方とは。
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスも学べるし、合気道も、学べると同時に、

自分も癒される場にもなる、

一粒で3度美味しい講座です。

お会いできること楽しみにしております。

2016年8月18日 (木)

合気道はコミュニケーション そして今週の稽古のお知らせ。

今日の今日で、稽古のお知らせです。

すいません。

今日あります。

いつも通り、

新宿スポーツセンターにて、

20時〜22時まで。

当然日曜日もいつも通りです。

場所は同じで、13時〜16時まで。

さて、今日以前仕事をしていた会社の
車を見かけたので、

当時を、思い出した。

IT系の仕事を辞めた後、しばらく引っ越し屋の営業をやっていた時期がある。

そこは、板橋区の端にある業界中堅の会社だった。

まったくもってひどい会社だった。

言い出せばキリがないくらい。


結論としては、トップがダメなのだが、

印象的に残っている話としては、

引越し当日のお客に対しドタキャンするという前代未聞なことをその会社はしでかしていた。

昨今、飲食店に対しドタキャンするユーザーが多くなっているという話しを聞くが、

その逆で、業者側からのドタキャン。

トラックの手配が間に合わない状況になるようなギリギリの組み方をさせているということ。

トップが、
そういうプレッシャーを、意図的なのかどうかわからないが現場に与える。

そのプレッシャーは、スケジュールを組むの部隊と、配車、配送する部隊との軋轢を生む。

そして、
無理なスケジュールに対する、物理的に限りがあるリソースとしての人員の不満が
爆発する。

ボイコットが起こる。

約束をした営業として、仕事を全うする
最後の手段は、ドタキャンを連絡すること
しかない状況。

人生の転機として、すべてのスケジュールを調整し、新たなる気持ちで引越しを準備していた人たちに対し、不動産の契約の兼ね合いもあるタイミングのその当日に、ドタキャン、、、

まったくひどい話だ。

お客は怒り心頭に発し、消費者センターに告発する人もいた。

消費者センターには、法的強制力はないので、全然問題ないとうそぶく。

これだけではなく、他にも様々な会社としてやってはいけないことをやっていたし、違法行為も多々やっていた。

あまりにも凄すぎて、反面教師として勉強になった。

それ以上に、ためになったのは、

その働いている間に、約1000宅以上の訪問をしたということ。

本当に1000宅、1000様なのだ。

皆んなが思っている以上にゴミ屋敷は多い。そういう人と会って話すと、なんとなく共通の質感みたいなものを持っているとか、

離婚の引越しも多くて、 家や、話す人の
雰囲気でそれもなんとなく、聞かなくても
わかるようになる。

母子家庭、生活保護の家庭、生活保護を利用して楽しく暮らしている家庭、同性愛の家庭、一見幸せそうな家庭、障害者の家庭、末期がん患者の家庭、独居老人の家庭?、半端ない金持ちの家庭、ペット多数とフンだらけの家庭、引きこもりの家庭などなど、

まーとにかく、様々な家庭に、引越しの営業という名目で、ズカズカと上がり込んで

いろいろ拝見させていただいた。

そして、感じたことは、
機能不全でない家庭はないのではないか、
ということ。

そんなに深くわからないでしょって?

確かにそうなんですが、

なんとなくわかるものはわかるし、

いろいろ話しはじめるのです。

途中からは、営業取るよりも、
そっちの方にエネルギー注いでいたことを思い出しました。

そして、わかったのは、

こちらから、無理に媚びへつらうように
合わせるより、ニュートラルな感覚で接するほうが、相手はいろんなことを話し始める。

早く切り上げて、効率を目指すならそういう内容になるし、聞くスタンスになれば、
かなり深い話の内容にもなる。

なぜなら、基本引越しは、する人にとって慣れない作業であり、不安要素が満載だからだと思う。

そして、こちら側の在り方で、相手のこちら側のへの接し方が変わる、、ということなのだ。

前々から漠然とした感覚はわかっていたが、この期間に、僕は中心帰納を確信した。。

つまり、中心帰納とは、関係性の中での意識の在り方のことで、

合気道とは、コミュニケーションの1つの形態だということなのだ。

改めて、
その板橋区の端にある引越し屋だけはやめといた方がいいと思う。


2016年8月13日 (土)

伝え方 そして明日の稽古の、おしらせ。

どうすれば、もっとここの静中心 合気道無元塾の良さを伝えることができるのか、

考えてみた。


文章で説明では、伝えてきたつもりなんだけど、それに比例したセンセーショナルな展開が生まれない。


動画での表現は、今後工夫していこうと思いますが、結構難しい。


どうしたもんかなーと考えてしまう。


でも、ひとつ、自分にとっても、これから習うひとにとっても、良いところがある。


それは、どこの団体にも属していないということだ。でも、ちゃんとした教えを引き継いでいる。


さらに言うと、僕自身が合気会という大手にいて、ある程度全般を理解したうえで、平井伝合気道の教えを受けたことが、とても相乗効果になっていると考えている。


大手の長所と短所を、活かすことができる。


しがらみが無いからといって、全く自由で原型が、崩れていくということもない。

なぜなら、中心帰納と、腰回した、8つの体捌きという概念と1人稽古の型を心身ともに刷り込んでいるからだ。


母体武道といわれる所以だ。


どうにか、出来るだけ多くの人にこの質感を体験してもらいたい。

そして伝えたい。


きっといままで、いろいろ武道があるが、

その感覚はおそらく経験したことがないだろう。


たまたま、昔書いた自分のブログで、

及川羅漢という人について書いているものがあった。


このくらい、そんな馬鹿げたことを、

真剣にやり通す信念が必要なのかなー、、

とも改めて思う。


下記長文ですが、よろしければどうぞ。


あと、明日の稽古は、

いつもの日曜と同じ、


13時〜16時

新宿スポーツセンター、3階武道場にて。


静中心合気道無元塾ホームページ


お盆ですが、是非とも。


では、

過去ブログより↓↓↓


自分も含め、今現代の人たちは、その時代に応じた常識(考え方)の

なかで生きている。

大きな枠の常識の中で、また個人個人違う考え方があるかも知れない。

そのチョッとした違いの考え方によって、

人に対しては怒りを覚え、自分に対して抑うつ的になる。

大分前に、ある新聞の記事を読んだことを思い出す。

「全身を顔にせよ」と言って、冬も上半身裸で、下は半ズボンで

全国行脚をしていた人の話だ。

名前がわからないのでググってみた。

及川裸観(おいかわ らかん)という人だった。

現代あまり知る人はいないが、

どうも、私の父くらいの年代の人はよく知っているらしい。

そのうる覚えの記事の内容はこんなだった。

戦中か戦後か不明なので、軍か自衛隊かわからないが、

北海道か、東北のどこかで、真冬の吹雪のなか、

防寒着を着ての軍事訓練の最中、

遠くから、一人の人が接近してくるのを確認したという。

近づいてくるその人をよく見てみると、その極寒のなか、

上半身裸で下は半ズボン、手には「全身を顔にせよ」と書いた

のぼりを片手に、しかも大声で笑いながら歩いて来たというのだ。

そして、何もないかのように、その仰々しい防寒着を着た集団を横目に

笑いながら彼方へと消えて行ったという。

なんか、その場景を思い浮かべると、お笑いのコントを

見ているような笑いが込み上げてくる。


そして、痛快な気分になる。


詳細はどこかのブログの説明を、下記抜粋↓↓↓

及川裸観、本名及川清は明治三十四年(一九〇一)岩手県胆沢郡前沢町
(現奥州市前沢区)生まれ、北海道網走市育ち。二十四歳まで農業や漁業に従事。
小学生の頃は虚弱体質で、猫背のため丸公とからかわれていた。
上京後、健康体操として当時普及しつつあった自彊術を習い「裸修行」を開始。
その後、「笑いは健康の泉」との信念で「健康増進には精神上の楽観主義(ニコニコ)と
身体の鍛錬、とくに薄着による皮膚と内臓の鍛錬(裸一貫)が大切だ、」
という悟りにいたり、根津に治療院を開設。体は寒いほど強くなると言い、住まいに近い
根津神社の井戸水を毎日かぶり「プルプル感謝」と称した。

その後、及川の行動に感銘を受けた不動産銀行頭取牧野元治郎の後援により、
昭和十六年(一九四一)、「健康普及会」を組織し日暮里の諏訪神社の近くに
「ニコニコ会館」を開設。「全身を顔にせよ」と、上半身は裸、半ズボン姿でニコニコ裸運動
と書かれたのぼりを手に持ち、たすきがけをして「ワハハ、ワハハ」と笑いながら全国行脚し、
彼の信じる「薄着励行と明朗感謝」の社会建設に生涯をささげた。
戦災で、双子の子供を亡くしながらも、戦争中だからこそ「明るい太陽の心を」
と空襲下、裸で行脚を続け、彼の信じる裸健康法の普及に尽力。
次第にニコニコ会館には多くの同志が集まるようになっていたという。

昭和六十三年(一九八六)11月、及川裸観は入院中の病院で死去。享年85歳。
同年3月まで裸で全国行脚を続けていた。しかし、彼の活動の拠点だったニコニコ会館はすでにない。


凄すぎる!


ニコニコ裸運動、、とか


プルプル感謝、、とか、


ネーミングもユーモアー精神で貫かれている。


どこかのブログには、

階段から転げ落ちた時も、「ありがたや、ありがたや、、、」

と、書いてあった。


思わず、ぷっ、と吹き出してしまう。 そして、泣けてくる。

イワズモガナだが、

この人の凄いところは、考え方で人間は変容すると言い切っていることと、

それを自ら実践して全うしていることだ。


説得力と魅力があったので、自然と人も寄って来たのだろう。


(以下省略)

↓↓↓

クラニオアイキブログ

2016年8月10日 (水)

鏡 そして明日の稽古はお休みです。


人間は鏡に写ったべつの自分を自分であると認識できる能力をもつ。

動物はそういう認識ができないそうだ。

何かの本にそう書いてあった。

そして、鏡は、自分を客観的にみるツールに使う。

きっと、そういう能力の延長線というか、逆に根幹に、自分の中に、たくさんの自分の複合体としての自分が出来上がるのではないか。

それはおそらく、生まれ育った環境、、親、兄弟、その他影響を受けた人、考え方、など、たくさんの情報の複合体。

合気道は、基本相手と技を掛け合いながら、自分をみつめていく、こちらの掛けた技の質に反応して、相手は技をかけてくる。

例えば、こちらが技を厳しく掛ければ、相手は仕返しかのように力を入れてかけ返してくる。それが嫌だと、技を緩くかけはじめる。

感情的に掛けると相手も感情的になる。

つまり、相手は鏡と一緒だということだ。

実際の鏡でないものに反映するなにかを、自分のものだと感じる。

相手の中に、写っている自分を見出すことや、自分の中に相手と同じ質を持っている自分も感じる。

たとえば、

相手の身になって感じることが優しさであり、相手の質を自分に取り入れることを学習なのだ。

ひょっとすると、こういうことが言えるのではないか。

他人とのコミュニケーションの良し悪しは、

それに対応する自分の中の、いままで集積してきた自分という認識とのコミュニケーションの良し悪し、折り合いに左右されるのではないか。


本能的に自力で生きる能力が少なくして生まれてくる人間は、鏡に写る自分じゃない自分を自分だと認識する能力をベースに生きるすべを獲得していくということだ。

すべてが自分の意図するものばかりが集積されるわけではないのだろう。無意識的に自分の中に取り入れられるものもきっとたくさんある。

だから、自分をコントロールすることは簡単ではない。
思わぬ自分を発見して驚くことも多々ある。

合気道はそういう自分を発見するプロセスを提供する。


連絡おそくなりましたが、
明日の稽古はお休みです。

ご了承お願いいたします。

2016年8月 3日 (水)

ゆめ そして今週の稽古


昨日夢を見た。

なんか稽古なのか何なのか、

前提はわからないが、

ちゅうしんきのー(中心帰納)と何回も叫びながら、忍者のドロンの時のポーズを必死にしている。

感覚的には、なんか焦っている感じがする。

そうすると次は、
フラフープをしながら、テツandトモの
ナンデダローの動きをしながら、
こしまわしー(腰回し)とやっぱり叫んでいる図。


ダメだ、もう相当狂ってるわ。


遅くなりましたが、今週の稽古は、

明日木曜日 20時〜22時

日曜 13時〜16時

場所はいつも通り

新宿スポーツセンター 3階
第1武道場にて。

詳細は、静中心合気道 無元塾ホームページを

ググってください。


では、お会いできること楽しみにしております。

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