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2016年3月19日 (土)

自分の中の邪魔者、シンクロすること、そして明日の稽古のお知らせ。

常に、何か引っかかってる。

いつも、自分のなかの何かが邪魔をする。

青空を、眺めても本当に心が晴れた感覚になったのは数えるほどだ。


いろいろなものとシンクロするのは気持ちがいい。


そのシンクロの延長線上に、全体との一体感という感覚がある。


そういう感覚になると、

自分を邪魔するものがあっても、

それを冷静に見ていられる。


苦しい環境にあっても、静かに安心していられる。

自分の体験の中では、その感覚は、

とても静かなものだ。


シーンとしたなにもない感じ。

でも、孤独な冷たい感じではなく、穏やかな、懐かしい感じ。

決っして、勝負に勝ったあとの高揚感や、

優越感に浸っているというような感じではない。

競技のなかで勝ことも快感だけど、

勝つためのプロセスで仲間とシンクロ出来ることで得る快感のほうが、

より幸せだし、何か快感の質が違うような気がする。

そういうことなのだ.

シンクロすることが、楽しく、うれしくする。

生まれた時から備わっている能力なのだ。

それを、ぼくは瞑想的質感と言っている。

かたや現代では比較、競争する教育を受ける。

当然、協調性を養うような教育も受ける。

でもベースは比較、競争だ。

それは、個人に優越感と劣等感をもたらし、

また、それは社会発展に貢献する側面も持つが、

その恩恵を受ける者と受けられない者との格差をつくる。

更にその延長線の先に、

貧富の差、ドーピング、自殺の増加、原発、戦争、、がある。

おそらく武道はそちら側から発生したものであり、

生き残るためのノウハウの集大成だった。

でも、キリのないその殺伐とした競争の行き着く先の臨界点を

こえた、昇華した武道の代表が合氣道なのだ。

合氣道は殺しに来た相手とも、敵対するのではなく、

意識的にシンクロすることを教わる。

そのシンクロの方法を稽古していて、

自分だけ良くなるという思考が微塵でもあると、途端に難しくなる。


フライングして少しでも早くやっつけようとか、

身を守るために避けるとか、手で払うとか、

そういう反射的動作でも遠くなる。

あくまでも、

やられても良いと覚悟して、受け入れる。

その時は、止まって待っているのでなく、

相手の動きに対してシンクロする。

その時、姿勢は崩さない。


姿勢を崩さないとは、ピンと真直ぐにすることを強いるということではない。

緊張なく、バランスを整え続けるということだ。

バランスが崩れて、部分的に緊張が出てきたら、

またバランスを整えて、緊張を無くすようにする。

それをたんたんと続けるだけ。

つまり、

意図的に相手に攻撃することをしない。

つまり何もしないことを勉強する。

そういう稽古をする。

きっと、自分の中の邪魔するものとは、

シンクロしきれていない対立物なのだ。

その対立物とはなにか。

もう少し探ってみようと思う。

さて、お知らせが遅れましたが、

次回稽古は明日、上石神井体育館にて、

12:30~15:30です。

注意事項は過去お知らせと同様です。


よろしくお願いいたします。

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