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2015年12月 4日 (金)

犬の最後を考える。

室内犬で飼っているラブがいよいよ逝きそうだ。

数ヶ月前から後ろ足が萎えて、

徐々に散歩もままならなくなり、

現在ではついに寝たきりになってしまった。

糞尿は垂れ流し、

白内障で見えない目を半開きにし、

息が止まったと思えば、大きな音の息で吹き返す。

寝たきりになって2日で床ずれができてしまった。


15年も一緒に生活してきた家族は、

ここ数日ラブの近くで夜は寝るようになった。


以前書いたブログにイギリスの諺を書いた。


↓↓↓(参考ブログ)
http://cranioaiki.cocolog-nifty.com/blog/2015/02/post-eefb.html


>子供が生まれたら犬を飼いなさい

>子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となり

>子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となり

>子供が少年期の時、子供の良き理解者となり

>そして子供が青年になった時、

>自らの死をもって子供に命の尊さを教えてくれる


まさにこの諺を彼女は実行してくれている。
彼女とともに成長した子供たちは

最後の瞬間に出来るだけ精一杯のことをしてあげようとしている。


散歩係で、人間の介護よろしく、

直前までのシモの世話役だった僕自身は

どちらかというと彼女の死に対して鈍感なようだ。


改めて考えると、

彼女の迎える死に方は、

まさに人間の最後の予行演習のようだ。


断片的だが死というものを下記のように考える。


生きていれば必ず死は訪れる。

そんなことは頭では十分わかっている。

しかし、普段それは忘れがちだ。


あらゆる生あるものと深く接するには死までの責任を考える必要がある。


逆に、あまりに死に関して過敏になっても問題だ。


死ぬということを忘れない程度に、すこし鈍感な方が楽だ。


直前の死に対して、

悲嘆、不安、恐怖に晒されるより、

それでも生きようとするその潜在力に最後まで目を向けていることが

大切なのだと考える。


彼女の

頭を触れて静かにしていると、

なんらかのリズムを感じることができ、生命の力強さを感じ取ることができる。


合気道でも、クラニオバイオでも、

そういうことを学んでいるのだ。

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