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2015年11月

2015年11月27日 (金)

11月29日の稽古は上石神井体育館の武道場です。


技は多く憶えればいいというものではないのです。

本質を獲得するために、型としての技はいくつかあったほうがいいかもしれない。

間違っても1000はいらない。

10もあれば十分だ。 


ただ、それだと稽古がワンパターンになるので、ここではもう少し数を増やしている。


本質に到達すれば、つまり0(ゼロ)にな

れば、その数少ない技の展開は無限になる。

中心帰納の稽古は、

そのためのものなのです。

そして、

そのノウハウをお伝えしているのです。


名人、達人の才能のある人は、自然と一部

自得している可能性がある。


身体能力で誤魔化してしまっている人は、

厄介だ。

なぜなら、それが出来ていると勘違いして

しまっている可能性がある。


現在の、武道や格闘技は身体操作という

身体能力への依存の割合が高い。


そこに限界を感じてる方、

違和感を感じている方には、

この合気道はうってつけだ。


興味のある人は一度たづねてきてください。

↓↓↓

日時:11月29日(日)12:30~15:30

場所:上石神井体育館 第一武道場
  練馬区上石神井1-32-37
03-5991-6601

↓↓↓
http://sports.geocities.jp/mk_mbsa_nerima/top.html

【西武新宿線】上石神井駅南口から徒歩8分
【西武池袋線】石神井公園駅北口から「西武バス」吉祥寺駅行で水道端下車1分 
大泉学園駅南口から「西武バス」、「関東バス」西荻窪駅行で立野橋下車5分

※個人解放を利用しますので、他の武道関連のかたとシェアして使用することになります。

※参加費¥500  別途施設利用費¥300がかかります。


いつも通り、
道着等動ける服装であればOK、
事前連絡いただければありがたいですが、ドタ参でもOK、
初心者でも、ベテランでもOK、
武道経験者でも未経験者でもOK、
男性でも女性でもOK、
合氣道以外の武道家の方でもOK、
連絡先:aikishira☆gmail.com (☆→@に変換してメールお願いします。)

事前連絡いただければ、白石の携帯をお知らせいたします。

では、お会いできること楽しみにしております。

2015年11月24日 (火)

思っている以上によかった上石神井体育館の武道場

穴場でした。

上石神井駅からも思ったより近く、

使用していう団体も少ない。

正式のお知らせは別途するとして、

次回もここを活用しようと思いました。


さて、


今なんとかしてもっと、知らしめたいこの合気道のすごいところは、

自分の本当に整った状態が分かる。。というところなのです。

自分の整った、その相対的な関係性の中で、相手に崩れる、、という状態が現れる。


相手に崩れるという反応が現れる。


崩れるから技をかけることが容易になる。

だから技だけを覚えるだけではないのです。

自分の意識の状態をどこにチューニングすれば、相手に影響が与えることができるのか。

逆にいうと、

相手がなんらかの影響をうけて崩れれば、それのチューニングは正しい、、ということの証明になる。

そして、そのチューニングするための背景に、

禅的というか、心理学的というか、

そういう考え方が必要になってくる。


なぜなら、

敵対意識のある相手に対し、恐怖や不安や焦りや、

それらに対する反応としての自らの敵対心を

冷静に認識する必要があるからなのです。

心や、精神を鍛えるという言葉あるのですが、

鍛えるという言葉は適切ではないような気がします。

つまり繰り返しですが、そういう反応を冷静に認識するという、

自分を静かに観るという、

そういう訓練が必要なのだと思うのです。


この訓練というか、やっていることは、

まさに禅的な、瞑想的な考え方と一致する。

なので、瞑想的な質感が同時に現れるのです。


型稽古の繰り返しを没頭することで、その結果現れる

漠然とした変性意識よりももっと、

積極的な意味での ”瞑想的質感”なのです。

それはなにかスイッチを入れてその質感にパッと変われるような、

そのくらいのメリハリというか、境界というか、

異次元というか、そういう切り替わり感がある。


そして、その瞑想的質感には一種の静寂感がある。

それは、なにかお膳立てされた整然とした空間の中でなくとも、

例えば、混沌とした、雑然とした、大きな音が鳴り響く、都会の人ごみの中であっても、

その静寂は発動する。

それが出来る出来ないは周りの環境に左右されることのない自分の中だけの問題だからだ。


これはセラピーでも同様だと考えます。

なので、ここの合気道で習う、中心帰納などの考え方、訓練、会得した質感は、

セラピーの本質と同等であると言っているのです。

つまり、ここで得た本質を、

活殺どちらで遣うもその人次第であり、

ちゃんと理解していれば、どちらにも有効に適応できるということなのだと考えます。

2015年11月20日 (金)

次回11月22日の稽古は、、上石神井体育館です。

さて、またしても場所の変更です。

今回は畳の道場なので受身の練習もできます。

なんだかワクワクします。


前回 軒下合気道は予想に反して晴れましたので、

芝生の上で、楽しくナイフ、小太刀を使った入り身の稽古をしました。

道具を使うと入り身の感覚も変わる。

そして、失敗の頻度も増え、そして、研ぎ澄まされる。


よろしくお願いします。

日時:11月22日(日)12:30~15:00

集合場所:上石神井体育館
       練馬区上石神井1-32-37  TEL 03-5991-6601

↓↓↓
http://sports.geocities.jp/mk_mbsa_nerima/top.html

【西武新宿線】上石神井駅南口から徒歩8分
【西武池袋線】石神井公園駅北口から「西武バス」吉祥寺駅行で水道端下車1分 
         大泉学園駅南口から「西武バス」、「関東バス」西荻窪駅行で立野橋下車5分

※個人解放を利用しますので、他の武道関連のかたと
シェアして使用することになります。

※参加費¥500  別途施設利用費¥300がかかります。


いつも通り、
道着等動ける服装であればOK、
事前連絡いただければありがたいですが、ドタ参でもOK、
初心者でも、ベテランでもOK、
武道経験者でも未経験者でもOK、
男性でも女性でもOK、
合氣道以外の武道家の方でもOK、
連絡先:aikishira☆gmail.com (☆→@に変換してメールお願いします。)

事前連絡いただければ、白石の携帯をお知らせいたします。

では、お会いできること楽しみにしております。

2015年11月15日 (日)

静寂、、、覚書

先生は

愚直に真理を探求しつづけた。

先生の先生からヒントをもらい、

そのヒントをまた愚直に信じつづけ、

薄紙をはがすように、

ちょっとした振動で崩れる小石を積み上げるように、

わずかな進歩を、わずかに感じ、

それを糧として次に進む、

積み上げて見つけることが出来たものを理解してもらうために

様々な角度で説明をする。

おかしなことに、それは矛盾した説明にしかならない。

聞く者、習う者はポカンとするばかりだ。

それでも愚直に説明を繰り返す。

仕方がないことなのだ。

真理とはそもそも言葉では表現できないものなのだ。

仮に表現したとしてもそれは一側面の表現でしかない。

「腰回し」や「中心帰納」という言葉はそういうものなのだ。

その背景には、大量の情報を宿している。

つまり、メタファーなのだ。

時には球理の説明をし、

時には360度の放線の説明をし、

時にはヒラキといい、

時にはシモクといい、

時には写し目といい、

時には3軸のことをいい、

中心軸のことを説明したあとで、

中心点は無いといい、、

中心はないがその周りを回って動いているといい、

結果、おおよその人が混乱する。

でもそれが、真理を正しく表現した結果的表現なのだ。

そして、

先生の先生がその無い中心の周りを回っている中心にあるのは、

動ではなく静であると仰ったそうだ。


「腰廻り」 という極意を確信されたのはいつですか?

そう質問をした。

そもそも最初からそういうものが備わっているのだと思いなさい、、というような

ことを言われた。


静が我々の中心に最初から備わったものなのだと、、

ぼくが別に習ってきたセラピーである

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスと符号した。

そのセラピーでは

スティルネス、、

ダイナミックスティルネス、、、


という


それは静寂のことなのだ。

2015年11月13日 (金)

軒下合気道 第2弾


どうも今度の日曜日も雨のようだ。

そしてまた建物の軒下での稽古を予定している。

次からは、また公共の武道場で稽古の予定をしているが、

少し時間が早まる可能性があるのと、

新宿区という場所的に都合の良い方もいるので

悩ましいところだ。

屋外での稽古は実は自分的には抵抗がすくない。

なぜなら、何回か書いているが、

以前、システマというロシアの武道をやっているときは、

当たり前だったからだ。

そして、自然の中で稽古をするということが、

道場とは違う感覚に呼び起こされる。

軒下が自然かどうかは別として、、


どうも人間は相手との間合いを図るのに、

対する相手との距離だけでなく、

周りの環境にも影響される。

つまり、同じ環境で稽古するよりも、

屋外などの様々な環境など、広い環境や

逆に障害物のある環境などで稽古することが

稽古として有意義に働くのだ。

今回は、当身を仕掛けてくる相手と、

一体になる稽古をします。

離れたところから仕掛ける場合、

片手をとって仕掛けてくる場合、

フックを仕掛けてくる場合、

蹴ってくる場合、

そして、全ての対処が同じだということを学びます。


↓↓↓

日時:11月15日(日)13:30~16:00
集合場所:新宿スポーツセンターの入り口にあるコンピニ横。
参加費:¥500
寒くない、そして多少汚れてもいい、暖かい服装を持ってきてください。
事前連絡いただければありがたいですが、突然参加でも大丈夫です。
参加資格は特にありません。
連絡先:aikishira☆gmail.com (☆→@に変換してメールお願いします。)
事前連絡いただければ、白石の携帯をお知らせいたします。
     
では、お会いできること楽しみにしております

2015年11月 9日 (月)

今日の稽古のレビュー

本当に、新宿スポーツセンターの建物の軒下での稽古でした。

只管、自分を整える稽古でした。

相手の仕掛かけてくる手先はどうでもいい。

相手を認識した瞬間に傾く自分。

それを整える。

相対的に相手は悪い姿勢になる。

それが崩れに繋がる。

それ以上でもそれ以下でもない。

技をかけられて形式的な受け身を取ることだけが

受身ではない。

相手の思いを感受し、

同調することことが本当の受身なのだ。

同調するためには、共感が必要だ。

共感するためには、自分がニュートラルでなければならない。

出来るだけピュアなニュートラル。

だから体捌きという瞑想の訓練が必要なのだ。

濃密な稽古の時間を過ごせました。


ありがとうございました。

2015年11月 8日 (日)

軒下(のきした)合気道 継続するということ、、

本来 曇りの予定で屋外稽古のお知らせをしてましたが、


明日、雨の可能性が出てきました。


ここの合気道は、半畳のスペースがあれば稽古ができる。


一人でも、稽古ができる。


そういう意味で、

軒下合気道と名づけました。


その証ではありませんが、

明日は、いつもどおりの場所と時間に待ち合わせ、

場所としては、その建物の軒下でも稽古をします。

当然、僕一人でも稽古をします。


人ごみの中で、人に当たらないようにすり抜ける稽古。

前に歩いている人に同調する稽古。

自分の視界の外にいる人の気配を感じる稽古。

半畳のスペースの中で、突然なんらかの攻撃に対処する稽古。

こういう攻撃は、こういう技で対応するという稽古では50%だ。

思わざる無意識の対応が出来るようにするには、

条件づけの稽古ではなく、

稽古を日常に溶け込ませる必要がある。


そういうことを理解するための稽古をしたいと思います。


当然、その中には前回予告したハグの稽古も含まれます。

禅の十牛図でも、

悟るプロセスの最終段階には、

人里に戻り、元の生活に戻っている。

そのことは、とても重要なことを示唆している。


↓↓↓(Wikipediaより)

  1.牛を捜そうと志すこと。悟りを探すがどこにいるかわからず途方にくれた姿を表す。 
  2.牛の足跡を見出すこと。足跡とは経典や古人の公案の類を意味する。  
  3.牛の姿をかいまみること。優れた師に出会い「悟り」が少しばかり見えた状態。
  4.力づくで牛をつかまえること。何とか悟りの実態を得たものの、いまだ自分のものになっていない姿。
  5.牛をてなづけること。悟りを自分のものにするための修行を表す。
  6.牛の背に乗り家へむかうこと。悟りがようやく得られて世間に戻る姿。
  7.家にもどり牛のことも忘れること。悟りは逃げたのではなく修行者の中にあることに気づく。
  8.すべてが忘れさられ、無に帰一すること。悟りを得た修行者も特別な存在ではなく本来の自然な姿に気づく。
  9.原初の自然の美しさがあらわれてくること。悟りとはこのような自然の中にあることを表す。
  10.まちへ... 悟りを得た修行者が街へ出て、別の童子と遊ぶ姿を描き、人を導くことを表す。


お会いできること楽しみにしております。

2015年11月 5日 (木)

11月8日の稽古のお知らせ

11月8日は曇りの予報ですが、、

またも、新宿スポーツセンターの周りにある公園の芝生で稽古します。

前回のテーマは”握手”でした。

最初、リラックスしながら、何も考えることなく

握手することから始めました。

しかし、妙なことに普段稽古し合っている仲間同士であるにもかかわらず、

唐突に握手をすることで、

そして目を凝視し、長時間握手することで、

どこか緊張が生まれる。

その緊張の実況中継を声をだして、5分づつ交互に言ってもらう。

いろんな感情、感覚が出てくる。

普段そういう訓練を受けていない人は、なかなかそれに気づかない。

それを、感じ、声に出していく。

無意識的に発言する内容もある。

相手の様子にも影響を受ける。

それをすることで自分を理解していく。


自分を理解することなく、中心帰納は出来ない。

自分を知ることなく、自分の中にある、不安や恐怖に対峙することは出来ない。

不安や恐怖に対峙することなく、自分を受けいることは出来ない。

自分を受け入れることなく、相手を受け入れることは出来ない。


だから、つまり相手を受け入れることなく、中心帰納はできないのだ。


これは

「切り結ぶ刃の下ぞ地獄なる 身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」

のことと同義だ。


合気道は禅であり、心理学なのだ。


さて、次回は、握手の次の段階、

ハグの仕方を勉強します。

ここの合気道のハグは、少し変わっていて、

された人は、中心に限りない重力を感じ、

一気に崩されてしまいます。

入身投げで崩せない人にとっては、

必修課題です。

そこを切り口に、そこから派生させた技なども
体験していただきます。

↓↓↓

日時:11月8日(日)13:30~16:00
集合場所:新宿スポーツセンターの入り口にあるコンピニ横。
参加費:¥500
寒くない、そして多少汚れてもいい服装を持ってきてください。
事前連絡いただければありがたいですが、突然参加でも大丈夫です。
参加資格は特にありません。
連絡先:aikishira☆gmail.com (☆→@に変換してメールお願いします。)
事前連絡いただければ、白石の携帯をお知らせいたします。
     
では、お会いできること楽しみにしております。

夏目友人帳を再発見


ハードディスクを整理していたら、
表題のアニメ動画が出てきた。

これについてブログに書いたことを思い出し検索してみると

ちょうど4年前に書いたようだった。

↓↓↓

http://cranioaiki.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-a40c.html


最近あまり見る機会が少なってきたアニメだが、

まー、50を過ぎて何を、、とも思うのだが、

質の高いアニメは僕の様なオッサンにも十分に楽しませてくれる。

そして、感動もさせてくれる。

その時のブログを読むことで、当時の考え方を思い出したり、

現在、それが変化したこともわかる。


当時は、合気道に関して言うと、まだ”中心帰納”に関して確信を得ていなかったころだ。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスに関しても、

リズムの知覚が絶対条件だと考えていた。 (これに関しては後日書きたいと思います。)


とにかく、人間はそれぞれの物語の世界の中で生きている。

その中で辻褄の合うように展開して、自分を納得させ、その確信のもと周りにも

それを強要する。

その物語に沿ったいろいろな表現をする。

自分の中では矛盾はないので納得させやすい。


下手をするとその”物語”は”真実”を覆い被し、見えなくする。


4年前のブログを書いたときは、

合気道やクラニオセイクラル・バイオダイナミクスを物語ではなく、

真実だと考えていた。


でも、

今はこう考える。

合気道やクラニオセイクラル・バイオダイナミクスは物語であり、

その物語を通して、真実を求めているのだ。


格闘技の中で行われる殴り合いというのは幻想だ。

仮に死の危険性の孕んだ試合であっても、

それはあくまでもルールのなかで行われるゲームなのだ。

とても、スリリングでダイナミックだし、

周りの人も巻き込み感動も呼ぶ。

終わったあとは、達成感などを感じる。


本来の命のやりとりは、試合は死合いであり、

殴り合いはあまり想定しない。

生きるか死ぬかの覚悟が要るので、

そうそう頻繁にそんなことをやっていられない。

スタートの条件も違う。

出来るだけ衝突前に処理するようにする前に、

行うのが ”中心帰納” なのだ。

殴り合う前に行う処理なので、

別にものすごい体力が必要ということは無い。

だから、年をとってもできるのだ。

限りない死線を乗り越え、

常勝した上で成し遂げられることでもない。


あることが理解できればできることなので、

一瞬にしてできるようにもなるし、

分かってしまえば、「なーんだ、そういうことなのか」

という感じになる。


当然、最低限動ける体作りは必要だ。

だから、自分を律して毎日何らかの稽古をする。

定期的に人に触る。

それだけでいいのだ。

夏目友人帳というアニメは、

霊力のあった祖母が妖し(妖怪、お化け)と勝負し、
勝ち得たその妖しの名前の冊子を受け継いだ孫に
対して、その名前を取り戻しに来る妖しとの交流?を描いたものだ。

よくぞそんな奇妙なストーリーを考えたものだ。

そこまで奇抜だと、展開する内容は何でもアリだろう。

でも、違和感なくそのストーリーに引き込まれる。
本来であれば恐怖の象徴である妖怪たちが、

寂しさを醸し、可愛くもあり、切ない懐かしいさまで感じさせる。

古典の思想書でなくても、アニメの中の物語の中にでも、

真理を見出すことができる。

修証一等を説いた道元も、

不生禅を唱導した盤珪も、

われわれ人間は、もとより悟った存在であり、

それを前提に修行をするのだと言っている。

盤珪に至っては、禅をするのに形式的に座らなくても良いと言っている。


そしてつまり、悟りを求めるために、厳しい修行をし、それを探し求めること自体が

物語なのだ。

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