2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »

2015年6月

2015年6月30日 (火)

成田新十郎先生の公開講座情報


さて、

現代の合氣道の達人の最高峰、

成田新十郎先生の公開セミナーの

ホームページを作りました。

今後情報を付け足していくつもりです。

まずは、取り急ぎ

お知らせいたします。

↓↓↓

http://c-kinou.jimdo.com/

2015年6月27日 (土)

親父の基底細胞がん

常に違和感が付きまとう。


もう少しその感覚に敏感でいようと思った。

その感覚を鈍感にするのは、

一番は迎合(適応)という思考だ。

また、違和感をそのまま表現しようとすると、

それまた抵抗感を感じる。

おそらくそうすることによって、人にどう評価されるか

不安なのだ。

恐怖すら感じる。

なぜそんなに不安なのか。

そこを見つめる必要がある。

人間は死ぬことがわかっていて、生きていく。

生まれたと同時に、死に向かい、死ぬまで体は健康になろうとする。

それは無意識にやっている。

それを意識する。

意識の仕方によっては、

死よりも別のものを優先する価値観を持つことが出来る。

それがマイナス方向に働けば、

自らの意志で積極的に死を選択することもする。

先ほど出てきた迎合(適応)に失敗した時なんかがそうだ。

だとしたら、

最初から迎合なんかせず、

違和感は違和感としてチャント認識できるように、

チャント気づいていくようにする。

中心帰納の稽古は、


ただの感覚の稽古ではない。


感覚にまとわりついた思考にも気づいているべきだ。


それに鈍感なままでいると、いつまでたっても会得できないことになる。


きっと、そういうことなのだ。


うちの親父が、基底細胞がんだという連絡があった。


会いにいったら、いつもと変わらず説教をされた。


死ぬまで健康でいようとするエネルギーを感じた。

2015年6月24日 (水)

成田新十郎先生の公開講座を企画します。


静中心セラピー研究会の一環として、

成田新十郎先生の

公開講座を企画します。

予定は、7月18日(土曜)の午前中です。

あまり時間がないので、

出来るだけ近いうちに正確な情報をお伝えしたいと考えてます。

この静中心合氣道 無元塾で、

常に念頭に置いて稽古している

”中心帰納” 

の本家本元です。

単に合氣道の稽古としてではなく、

実演も含めた僕とのトークセッション形式で、

また、セラピストの荒巻氏、

執筆家の押切氏など、僕の仲間の

かみ砕いた解説、説明も加え

充実した、楽しい、内容にしていきたいと考えております。

乞うご期待!

2015年6月23日 (火)

考え方を学ぶのです。

特別に何かしなくてはならないことはない。

今自分に備わっている物しか材料はないのだから。

みんな、何か特別な何かを仕入れてより強化できると思っている。

でも、そういうものは間違いなく自分の中で、

矛盾の種になっていく。

それが原因で自家中毒を起こす。

そして吐き出してしまう。

もしくは、新たにそれを中和する材料を探し始める。

そして、たくさん材料を仕入れて、辻褄が合うように物語をつくる。

自分の都合のいいように、自分の哲学に合うようにバランスを保つように、

物語を作る。

それは、客観的に見てとても整合性の整った真実の様に見える。

でも、そういう本当の物語が世の中にはありすぎる。

1人で作り上げる物語もあるし、

共感する人が寄ってたかって共同でつくる物語もある。

その物語とは真実と虚構の入り混じった仮想空間なのだ。

それは、他の仮想空間から眺めると虚構そのものだし、

仮想空間内では真理中の真理となる。


つまり、どういうことなのか、

”考え方” なのだ。

全ての仮想空間の中での、共通した考え方を抽出していけば

ひょっとしたら真実は1つかもしれないのだ。

これも一つの考え方だ。

または、すべての仮想空間を認める

広い許容力をつける。

これも一つの考え方だ。


それでも結局は

素材としてあるのは今ここにある自分だけなのだ。

その考えの中においては、競争や比較は邪魔な思考となる。


そういうことを

僕の伝えるクラニオバイオと

ここの合氣道は学んでいくことになるのです。

2015年6月17日 (水)

次回は20日(土)、次々回は28日(日)が静中心合氣道 無元塾の稽古日です。


先日14日(日)は、クラニオバイオ道場開催の為、

静中心合氣道 無元塾の稽古はお休みしました。

さて、

次回は、いつもと違い 土曜の20日に開催する予定です。

そして、次々回は、いつも通り、日曜日の28日の開催予定です。

場所は、最近では定例の、新宿スポーツセンター 3F 第一武道場
交通手段:JR高田馬場駅下車徒歩約10分

       東京メトロ副都心線西早稲田駅下車出口3より徒歩5分

↓↓↓
http://www.shinjuku.esforta.jp/info_access.html

時間は、13:30~16:00です。

 ※個人解放を利用しますので、他の武道関連のかたと
   シェアして使用することになります。

 ※参加費¥500  別途施設利用費¥400がかかります。

いつも通り、
道着等動ける服装であればOK、
事前連絡いただければありがたいですが、ドタ参でもOK、
初心者でも、ベテランでもOK、
武道経験者でも未経験者でもOK、
男性でも女性でもOK、
合氣道以外の武道家の方でもOK、


内容:8つの体捌きとそれに則した中心帰納の稽古
    ”中心帰納”=”腰回し”の概念の説明
    円乱捕り
    受け身の意味


中心帰納をするとなぜ入身ができ、そしてそれが打撃や剣に有効かを
勉強します。

連絡先:aikishira☆gmail.com (☆→@に変換してメールお願いします。)
     事前連絡いただければ、白石の携帯をお知らせいたします。

普段と違う曜日なので、来れない方もいらっしゃるかもしれませんが、
逆に、土曜日だから来れる人もいらっしゃるかもしれません。


是非とも、ご了承お願いいたします。


さて、無元塾の定例の稽古を続けて、

僕自身も大分わかってきたことがある。

当然、出てきた悩みや壁もあります。

ただ、分かってきたことを、出来るだけシェアして、行きたいと思っています。

昔の武道の様に、秘伝として隠すようなことはするつもりは全くありません。

分かってきたことの1つ、

合気会でいう呼吸法は、ここでいう中心帰納のことである。

でも、こういう式になる。

中心帰納(腰回し)>呼吸法

なぜなら、離れた剣のやり取りにも活用できるからだ。

それだけではない、普段の生活にも活用できる。

中心帰納を意識的に使うと、体が楽になる。

きっと、茶道や、書道などにも応用がきく。

普段から瞑想的にもなれる。

それは、中心帰納の説明を聞けば納得できることだ。

これが分かると普段の生活が稽古の場となる。

静中心合氣道 無元塾を通じて、この中心帰納をいかに広めるか、、

それが課題です。


では、お会いできることを楽しみにしております。

2015年6月 8日 (月)

6月14日の稽古はお休みです。そして修証一等ということ。

合氣道の稽古はお休みです。


その代り、

クラニオバイオ道場を開催します。

ただ、今回はオープンな開催ではありません。

地方に住んでらっしゃる方が東京に来られるタイミングに

開催をすることになりました。

僕のホームページに偶然に行き着つき、

共感いただいた、、とのこと。

限られた時間ですが、

出来る限りのことをさせていただきたいと考えてます。


さて、

今合氣道の稽古にいらっしゃっている方と話している中に

修証一等という言葉があった。

その意味は、

修行は悟りのための手段ではなく,修行と悟りは不可分で一体のものだということ。

道元の禅思想の特徴を示す語で、修証一如ともいう。

道元は仏教に対して疑問があった。 それは

仏教においては、

 「人間はもともと仏性(仏の性質)を持ち、そのままで仏である」

 と教えているはずだ。それなのに、われわれはなぜ仏になるための修行をせねばならないのか?

というものだった。


それの解答としての結論が、先ほどの”修証一等”なのだ。

言い換えると、要するに、悟ろうと思って悟れるものではないという結論なのだ。

狭い世界でのはなしだが、

今まで、僕の周りで、本当の意味で悟っていた(様な人)はいなかった。

でも、その悟っている人というのは、どういう人なのか。。

あくまで、それは僕の悟るというイメージで考えていることなのだ。。。

こうでなければならない。

こうすべきだは、捨てていこう。

概念や、形、型は共通言語として必要だが、

それが本質ではない。

その共通言語を通して、本質を伝えたり、獲得する。

そういうものなのだ。

今ある環境に感謝いたします。

2015年6月 6日 (土)

んなわけないでしょ。第一弾


大体のことはわかっている。

んなわけないでしょ、、とわかっていても、流れで無思考に受け入れていることがたくさんある。

無意識に、惰性でやっていることがあるとすると、

そこは一旦考えてみる必要がある。

いつの間にか、そういう役を演じて生きている自分を意識すること。

すんなり当然だと受け入れていることもあれば、裏でものすごい葛藤が、起こっていることもある。

それも見極めるようにする。

んなわけないでしょ。。

という部分が多い人は、反旗を翻して、なんらかの抵抗をはじめてもいい。

しかし、いづれにしても、人間社会のシステムのなかで生活するしかない。

どれたけ田舎に暮らし、大量生産システムから逃れる生活を始めても、なんらかの社会に接している限り、

その社会システムに毒されて生きることとなる。


そこをわかって、意識的に生きたい。

サラリーマンにおいてはこうだ。

みんな仕事をしているふりをしている。

仕組みが出来上がっている仕事なんかは、誰にでもできる。

自分にしかできないようなもっともらしいシカメっ面をして、

自分の仕事の価値以上の給料を手に入れている。

ほとんどの中小企業は銀行から輸血を受けて、

バランスを保っている。

かわいそうなのは、代表取締役だ。

自分しか連帯保証人に成れないから
大義名分は社員のため、渋々サインする。

何回もサインするので麻痺すらする。

そこのリスクの対価として多めの給料を得ることで精神のバランスをとる。

45歳くらいを超えてくると、能力や発想も枯れてきて、

組織の中の既得権にしがみつく。


日本だけでなく、高度に成長する社会では、

生産性の高い人間が優れていて、

何らかの形で社会に貢献する人間が正しいと考えられている。

だから皆お利口さんでいようとする。

未だに、僕もそうだ。

だからお利口さんでいられなくなるとビクビクしている。

お利口さんに保てるように頑張る。

でも、そんなことにエネルギーを注いでいると、

自分のやりたいことがなかなかできない。

僕のやりたいことはバカに成らないとできない。

でも、バカに成りきれない自分がいる。

僕にとって、

きっと、悟るとは馬鹿に成りきることなのだ。

全てにおいて、形にはまること自体がもうすでに停止状態だ。

だからこう考えた。


本質だけを見ていこう。

外から得た知識はとことん自分で検証しよう。

そしてそこで起こるプロセスを信じよう。

これからいろいろな現象が起こるだろう。

でも、方向は間違ってはいない。

それだけは確信できる。

それはまさに、

中心帰納のことなのだ。

それを静中心合氣道 無限塾では
やっていきたいのです。

んなことないでしょ、、と、
違うけど無意識に受け入れていることに気付いて行きたい。

違うと思ったことは、

どんどん正直に表現していきたい。

今日のブログは、それを表明する第一弾だ。

自分が絶賛している、合気道やクラニオバイオの中でも、やってきた瞑想でも、もっと感じていることを、違和感などもあれば遠慮なく書いていこう

50を過ぎた、お利口さんなおっさん(ジジイ?)などになりたくない今日この頃です。

2015年6月 3日 (水)

次回稽古(6月7日)も新宿スポーツセンターです。


自分と相手とどうかかわっていくか、

関わり方を試行錯誤するのです。

あきらかに、相手によって、こちらの感じ方が違う。

違う反応が出る。

同じ人でも、毎回違う。

それが当然なのだろう。

だから、型稽古が無意味だという人がいる。

逆なのだ、だから尚更、型稽古が必要なのだ。

関わり合いのなかで、フレームを確定しても、

その中に、無限のやり取りがある。

それは見た目では分からない。

そこを信じて続けなければ、いつまでも同じステージを

クルクルと回り続けることになる。

さて、

次回稽古も

新宿スポーツセンター 3階   第1武道場

東京都新宿区大久保3-5-1
03-3232-0171

交通手段:JR高田馬場駅下車徒歩約10分
       東京メトロ副都心線西早稲田駅下車出口3より徒歩5分

↓↓↓
http://www.shinjuku.esforta.jp/info_access.html


日時:6月7日(日)13:30~16:00
 ※個人解放を利用しますので、他の武道関連のかたと
   シェアして使用することになります。
 ※参加費¥500  別途施設利用費¥400がかかります。

いつも通り、
道着等動ける服装であればOK、
事前連絡いただければありがたいですが、ドタ参でもOK、
初心者でも、ベテランでもOK、
武道経験者でも未経験者でもOK、
男性でも女性でもOK、
合氣道以外の武道家の方でもOK、


内容:8つの体捌きとそれに則した中心帰納の稽古
    ”中心帰納”=”腰回し”の概念の説明
    円乱捕り
    受け身の意味


中心帰納をするとなぜ入身ができ、そしてそれが打撃や剣に有効かを
勉強します。

連絡先:aikishira☆gmail.com (☆→@に変換してメールお願いします。)
     事前連絡いただければ、白石の携帯をお知らせいたします。
     

では、お会いできること楽しみにしております。

2015年6月 1日 (月)

強さとは幻想である。

強くありたい。

そう願うひとは多いと思う。

そして、その強さは前に来る修飾語によって、

様々な強さの意味を表す。

身体的強さ、

精神的な強さ、

意志の強さ、

経済的な強さ、

格闘技的強さ、

生命力の強さ、、、、などなど

こう並べてみると強さにも様々な質がある。

つまりは、その前に来る修飾は、条件付けを現す。

プロレスやボクシングなどの格闘技での強さは、

小さいころからテレビなどをみて憧れとなる。

そこで、単純に強さとはそういうものだという洗脳もされる。


現在、新宿スポーツセンターという場所でシェアしている

様々な、武道、格闘技をみてつくづく思う。

それぞれの武道、格闘技がもつ考え方による形が現れて、

同じ種類のものであれば成り立つが、

他の種類のものと強さを競えば、それぞれが持つその形が崩れ、

おそらく、グチャグチャになるだろう。

グチャグチャのもみ合いの中で、強さを発揮する人もいる。

おそらく、そういう人は、喧嘩なんかの強い、

元来そういう暴力的強さを持った人に違いない。

だからと言って、

その人が、ボクシングという条件付けでの強さを発揮できるとは限らない。


そういうことだ。

つまりは、絶対的な強さなどは、、無い、、ということなのだ。

簡単に言えば、

ジャンケンみたいなものだと思えばいい。


では、

競技もない、合氣道はどうなのか、

何を求めるのか、、

それは、

「強さでもない、

上手、下手でもない、

つまりは、その合氣道というメディアを通して、

真理の深さを求め確認することを目標にする。」

そう考えます。

« 2015年5月 | トップページ | 2015年7月 »