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2015年2月

2015年2月27日 (金)

養蜂家の静中心講座の参加


先日、オヤジ3人で開催している ”静中心セラピー研究会の基礎講座”

の1日目を修了した。

今思うと、このブログでももっと宣伝すべきだと思うのだが、

なぜか、忘れてしまいます。

さて、そこに養蜂家の方が参加された。

とても興味深い。


蜂という自然の生き物、、それは哺乳類でなく、虫。

その虫を手段として生業をたてるということ。

間違っても、心を通わせるという類のものでは無い様な気がする。

おそらく、蜂の習性、特にミツバチという社会性を持った昆虫の習性を理解するということは、

より自然に近い、もしくはそれに等しい対象との関係性を理解するということなのだ。

それは、ヒトとの関係性を理解、構築するのとは訳がちがう。

そういう養蜂家が、この静中心の講座を受けようと思った動機が知りたかった。


そして、その理由とは、

まさに蜂との向かい合い方を模索している中、

この講座のインターネットでの案内に目が止まったということだ。


養蜂としてのノウハウは知識的には十分だろう。

だが、養蜂はそれだけでは十分ではない。

蜂との向かい合い方は、自分との向かい合い方に対応する。

そこに行き着かれた。


間違いなく自分の「在り方」が、巣箱を触るときのミツバチに影響するという。

以前からも、養蜂の大先輩からも、そこの重要性を指摘されてきた。

頭では分かっているが、どうすればいいのか。

そのヒントがこの静中心セラピー研究会の ”中心帰納”にある。


そう直感された。


おそらく間違いない。


”中心帰納”は普遍的なものだ。


もうすこし、深掘りして思索してみたい。


その養蜂家は、受講後、腑に落ちたようだった。


次回、2回目の3月28日の講座が楽しみだ。

2015年2月23日 (月)

子供が生まれたら犬を飼いなさい。


イギリスの諺だそうです。


>子供が生まれたら犬を飼いなさい

>子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となり

>子供が幼年期の時、子供の良き遊び相手となり

>子供が少年期の時、子供の良き理解者となり

>そして子供が青年になった時、

>自らの死をもって子供に命の尊さを教えてくれる


ウチのラブラドール犬は、既に14年が経ち、ヨボヨボの老犬だ。

幼犬のころ、可愛いしぐさで楽しませてくれた彼女が、


まさかこのようになるとは、考えもしなかった。

まったく、想像力の欠如だ。

でも、これが現実なのだ。


足は萎えて、すぐに転んではなを擦りむく、オシッコ、ウンチはもらす。


白内障が進み目が見えない。


ほとんど寝ている。


起きているときは、佇んでボーとしている。

おそらく彼女は、そう長くない。


人(犬)ごとではない。


その時期は、必ず自分にもおとずれる。


考えさせられる。


彼女とは当然ながら、少ない言葉は理解していいるが、


双方向での言葉でのやり取りはない。


飼い主に対して、自分の将来を考えて媚びたり、


未来のために過去を反省し行動を正したりしない。


おそらく、”今ここ”でしか生きていない。


だから、自分の体が思うようにならない現状を、


不安に思ってなんかいないし、


近づく死に恐怖したりもしない。

いま思うと、彼女とのコミュニケーションは


まさに、非言語コミュニケーションだ。


ケージから出たいとき、ごはんが食べたいとき、


トイレに行きたいとき、


なにか背中に感じて、犬の方を振り向くと、


何ともいえない表情で、こちらをじっと見つめている


なんとなく”気配”を感じるのだ。


なにがしたいのかも、”雰囲気”でわかる。


そうなのだ、彼女はいつも、


”気”という漢字のつく”何か”を伝えようとする。


そうなのだ、


犬ですら "気”をつかう。


それは、なにか特別なエネルギー的なものでなく、


おそらく、この世に遍満するものなのだ。


日本人はそれを無意識に、


たくさん使っている。


↓↓↓


陽気 本気 勇気 根気 生気 精気 湯気 空気 

大気 短気 活気 強気 弱気 殺気 やる気 勇気 

眠気 病気 湿気 気が乗らない、気心がしれる、気がめいる、

気が張る 気が合わない 気が知れない 人気(ひとけ)がない

気がつく 気がいい 気分が悪い 気分 気配 気学 気象

妖気 気分 気配 気象 元気 病気 のん気 邪気 無邪気 

本気 気質 気候 狂気 人気 不人気 元気 正気

天気 景気 外気 大気 気概 気持ち 気象 陰気 覇気  

気が合う 気に入る 気がある 人気がある 気が変わる

気が滅入る 気が通る 気を出す 気が澄んでいる 気が早い 気が遅い

気が集まる そんな気がする 気が向く 気が済む

気が抜ける やる気がある  

気が引き締まる 気が散る 気を回す 気が利く

気が良い 気のせい 気を許す

↑↑↑


上記の言葉を見ていると、改めて

気とは、何か特別に、物質に作用させるというものではなく、

感じるもの、、のように思える。


何か情報を伝えるメディアみたいなもの。


だから、

そういう意味で、”気”は存在する。


イギリスの諺に下記一行を付け加えたい。


>犬は”気”の存在を教えてくれる。

おそらく、気とはそういうものなのだ。


そこをチャント理解しないと、

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスも

合氣道もオカルトになってしまう。

2015年2月13日 (金)

脳は共感したい。そしてそれを理解すること。


きっと、本来、脳は他の脳と共感したい。


共感すると、個人のできること以上の能力を喚起する。


人の心は、個人の脳から発生し、

他人とのかかわりの中で、共感することで発達させ、

それを支える脳自体もフィードバックで発展する。


だから、本能としては、

人は、殺人をしたり、戦争など争いは起こさない。


でも、それを抑制するのは、思考なのだ。

思考によって自分の枠をつくり、

その枠を守ることが価値のあることだと思い込む。

その価値を守るために、組織を作り、システムを構築し、

国家を作り、愛国心を植え付ける。

価値観の相違は、思考の裏側に張り付いている怒りの感情によって、

殺人もするし、戦争も厭わない。

そこになぜ気づいて、至れないか。

そこをチャンと気づいて行動しないと、

同じことの繰り返しになる。


同じステージをくるくる回りつづけることになる。


下記、以前から気になっていた文章を紹介します。


↓↓↓


ポーシャ・ネルソン  5つの短い章からなる自叙伝   
(IanStewart.VannJoines.深沢道子監訳)より

第一章.
  私は通りを歩く。
  歩道に深い穴がある。
  私は落っこちる、
  どうしたらいいのか分からない、・・・どうしようもない、
  これは私の間違いじゃない。
  出方がわかるまでものすごく時間がかかる。

第2章.
  私は同じ通りを歩く。
  歩道に深い穴がある。
  私はそれを見ないふりをして、
  またまた落っこちる。
  また同じ場所にいるのが信じられない。
  でも、これは私の間違いじゃない。
  やはり出るのにずいぶん時間がかかる。

第3章.
  私は同じ通りを歩く。
  歩道に深い穴がある。
  それがあるのが見える、
  それでも私は落っこちる、・・・これは習癖(くせ)だ。
  私の目は開いている。
  自分がどこにいるのかわかる。
  これは私のしたことだ。
  すぐそこからでる。

第4章.
  私は同じ通りを歩く。
  歩道に深い穴がある。
  私はそれを避(よ)けて通る。

第5章.
  私は別の通りを歩く。


↑↑↑


これは、個人であれ、組織であれ、国家であれ、同じことだ。


この癖を取り払うには、その癖に気づかなければならない。

代償の責任を受け入れる覚悟がいる。

思考がもたらしていることなのだから、

理解できるような考え方を確立しなければならない。


考え方なのだ。

だから、思考で腑に落とす。

フワフワと気持ちの良いセラピーや、瞑想では、

同じ事の繰り返しで、

依存体質を作り出すだけだ。

その先がある。

耳の痛い、向き合いたくない自分、

自分に客観的に向き合うこと、

どうしようもないことは、開き直り、場合によっては、

諦めも呼び起こすようなこともあるだろう。

でも、それに目をそらさない。

そうすると、不思議と力が湧きでてくる。

清々しさも感じる。


クラニオセイクラル・バイオダイナミクスとは

そういうものなのだ。

瞑想とはそういうものなのだ。

妄想とはちがう。

常に現実と密接していることなのだ。


で、

そういう、すべてを受け入れた状況の、

真っ白な状況のとき、

共感のベースが出来上がる。


2015年2月12日 (木)

ゲシュタルトの祈り


今ある現状は、自分の選択の結果だ。

意識的であろうと、無意識的であろうと、

自分で選択してきたのだ。


だから、この状況に責任を持たなくてはならない。

受け入れなければならない。

ただ、これは、自分の登りたい山に登るための

プロセスなのだ。

これをチャントやらないと、死ぬときに後悔する。

とにかく、それを理解して

1つ1つ、進めていく。

それを目の前の欲やエゴで選択していくと、

どうなるか、、、

大概、身勝手で、傲慢になる。

内省せず、他を責める癖がつく。


最初は良いが、そのうち破綻する。

出来れば、

周りに、理解してもらえるように真摯に説明をし、

謙虚に、出来る限り感謝する。


そういう生き方を選択する。


その為には、もっと自分を理解する必要がある。

他人の為に、他人の評価を気にして、

選択する必要などないのだ。


そういう信念を確立しなければならない。

何年か前、ゲシュタルト療法の

”ゲシュタルトの祈り”という文章を目にした。

当時は、冷たい文章の内容に思えたが、

今はとても理解できる。


↓↓↓↓

私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。

私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。

そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。

私は私。あなたはあなた。

でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。

たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。


↑↑↑

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスでも同じことがいえる。

だから、こういう選択をしているのだ。


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