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2015年1月

2015年1月29日 (木)

線維筋痛症


うちの奥さんは

慢性筋筋膜筋痛症という診断を受けたことがある。


この状態がひどくなると線維筋痛症になると聞く。


本当は本人しかわからないのかもしれないが、

傍から見ていても、とにかく痛いようだ。


想像しきれないが、

血管の中にガラスの破片が通っているようだと表現していた

のを覚えている。

そして、その痛みで夜も眠れない。


その後、しばらく、その痛みは腰だったり、肩甲骨周辺だったり、

頚だったり、その時々で場所が移動した。


客観的に観察していると、

明らかにこの症状には、心理的な背景がある。

性格というか、その人の育生の中で培った考え方というか、

そういうものが関係する、、と感じた。

そんなに多くないが、何名かのこの症状のクライアントの方は、

間違いなく、なにかの側面で几帳面であり、完璧主義者だった。

なぜ、何らかの側面という表現をするのかというと、

完璧な几帳面な人や、完璧主義者などいないからだ。

当然その側面は、百人百様なのだ。

少なくともうちの奥さんは、

とあることに対して、こうでないといけないという価値観をもっており、

それを遂行でいない自分を責める。

遂行できない環境も攻める。


いづれにしても、まずは痛みを何とかしなくてはいけない。

しかし、心理的背景があるので、

痛いといっている箇所をどうにかしても短期間しか効果が続かない。

脳が過敏になっている中枢感作状態なので、

その発火している脳の部分を鎮火するために、


痛みに関連するトリガーポイント部分に手を置き

同時にクラニオのタイドを感じることをした。

現在、奥さんの症状は、

ほとんどなくなるまで緩解した。

間違いなく、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは

その手の痛みに絶大な効果を発揮する。


今奥さんは、毎朝早く起き、洗濯をして、家のことをしないと

機嫌が悪くなる。


それを阻害する僕の行動は、

彼女の価値観から逸脱しており、


なにかに駆り立てられるように洗濯しているのをみて、


もう少しユックリしてもいいのにという

朝はまったりしたいという自分の価値観と


この彼女の行動のを阻害することは、また彼女の疼痛を

引き起こす可能性があるということを思いの間で、

普段の行動より動きをを緩慢にさせる。


心理的疼痛の症状は、

その人の周りの関係性と相関する。


全体的関係性を理解しつつ。

知りたくない、見たくない自分を

理解して初めて、症状は軽減する。


それが真実だ。


2015年1月23日 (金)

B型肝炎キャリア

ぼくはB型肝炎キャリアだった。

おそらく予防接種の回し打ちで感染したのだと思う。

そうすると、小学校や中学校の同級生にも感染者がいたはずだがどうなのだろうか。


奇跡的なのか、ある割合の範囲なのか、抗体ができ治癒した。

それはかなり前のはなしだ。

22、3歳だったころ、やけに体がだるく、一か月くらい経つ頃には

階段も手すりを持たないと上がれないくらいな状態になった。

背中が痛く、胃のあたりも痛いので、医者に行って胃の検査をした。

ヤブだったのか、問題なしということで返された。

3か月たって回復してきたので定期的にしていた献血をしたら、

大至急指定の病院に行くよう連絡がきた。

調べてみるとこの数か月の間に、急性のB型肝炎になった可能性があるということだった。

状況を説明してみると、おそらく最不調のころには検査の数字は4桁になっていただろと

医者から言われた。

おもい返すと、その時期だと思われる頃おしっこは茶色を通り越して抹茶の色をしていた。


それを機に病気について考えるようになった。

理不尽についても考えるようになった。


自分で守れることは出来るだけやる、

しかし、その先は他力に任せるしかない。

それは、自分の治癒力であり、場合によっては、運ともいえる。

そして、それを受け入れて覚悟する。

どういう選択するかは、考え方次第だ。

その考え方は自分の考えで選択すべきだ。

他力を信じて、主体的に選択する。

そして、結果に関しては自分で責任をとる。

責任をとる覚悟をする。

これは普遍的な法則だ。

最近、B型肝炎キャリアから肝臓がんになり、

現在、抗がん剤を摂取されていないという方に

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスのセッションをさせていただいた。


その方から

詳しくは聞かなかったが、

そういう選択をし、定期的に東京に

整体の勉強をされに来られているということでした。


その方から、下記感想をいただきました。

一部抜粋させていただきます。

>全身が緩んだのか、軽いだるさとともに倒れ込むように眠ってしまいました。

>シンプルでありながら、理論的、技術的な裏付けと操者の確固とした心構えがあれば、

>一つの操法として完結するんだということに正直驚きました。

>常日頃、からだの言い分を聞いて、その思いを遂げさせてあげる操法をと心がけているつもりですが、

>昨日は、私のからだの声を存分に聞いていただいたような気がします。


人はそれぞれ哲学を持っている。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの考え方、哲学は、

そういう考え方のベースとなるほど、

シンプルで普遍的だ。


「病は気の持ちようだ。」

は軽くいうと、失礼となるが、


シッカリとした考えの下でいうと、

真理となる。


少し言い換えていうと、

「人は考え方で変わる」

だ。

2015年1月16日 (金)

秘伝で掲載


2015年2月号「秘伝」の下記、記事の中で、


ご縁で、受け身をさせていただきました。


「秘伝」

↓↓↓↓
http://webhiden.jp/magazine/2015/01/20152.php


「日野晃師範が解く 達人合気技法
  求道者 成田新十郎師範〝意識の領域〟」

日野先生は武道界では高名でらっしゃるのに、成田先生の受けまでされて、

頭の下がる思いでした。

成田先生は以前よりましての達人ワザでした。

押切さんのこの手の記事は日本で指折りだと思います。


本屋さんで読んでみてください。

2015年1月13日 (火)

諦めないから技が考えられる。

魅力的な言葉だ。

とても、前向きで、チャレンジ精神を感じる。

諦めない人の意志は、思考を尽くして、

知恵でもってして困難を乗り越える。


そして、そのそれぞれの困難に対応した

技が編み出されるのだ。

現代人の好むポジティブシンキングだ。

しかし、


我が合氣道は違う。


そして、

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスも同様なのだ。


自分に備わっているものを信じ、

起こるべきことに全てを委ねる。

ある意味、あきらめる力が必要となる。

執着を手放す訓練をする。

そして、来るものを受け入れる稽古をする。

そして、そういう意味での他力本願となる。

ここで思考が働くと、こうはいかない。

思った通りに行かないと、戸惑い。

上手、下手を比較し始める。

ある人は、ここで技術の向上があるという。


でも、ある側面では無限地獄が始まる。


そして、限界がくる。


一方


手放すと楽になる。


無限の可能性が出てくる。

そこに気づかなければいけない。


それを、リアルに感じることができるのは、


我が合氣道だけだ。


一度試す価値はある。


2015年1月 5日 (月)

思い込み

人はそれぞれ”思い込み”の中にいる。

その思い込みとはその人それぞれの価値観だ。


思い込みで表現し、解釈し、会話する。


同じ事を言っているようで、お互い全く違う解釈をしていることも

多々あるのだ。


家族内でもあるのだから、他人であれば尚更だ。

いや、自分以外の人間とはきっと、DNAが繋がっていても

同じなのだろう。


むしろ、価値観の方が重要なのだ。

価値観とはいろんな意味がある、その一つは人生観だ。

でも、世の中全く同じ価値観の人なんて、いない。


そこで、更に重要なのは、柔軟性なのだ。

自分の価値観をもってして、他人の価値観を理解する。

その為には、自分の価値観をちゃんと理解する必要がある。

自分の思い込みに気づく必要がある。

頑固な自分を知らなければならない。


その為には、謙虚であるべきだし、

常に変化するスタンスを取っておかなければならない。

その前に自分を知らなければならない。

自分の価値観の中で、思い込みと妄想で、

真実を歪めて解釈している自分を、そしてその真実も直視

しなければならない。

それが実は厳しい。

真実を受け入れるには勇気がいる。

厄介なのは、

思い込みと妄想の中にいても、生きていけるということだ。

一見、自分にとってその方が都合が良く思える。

この中にいる限り、病は尽きない。


思い込みや妄想の中にいるのは、

個人だけではない。

家族の単位で、人種の単位で、文化の単位で、国家の単位で、宗教の単位で、

なんらかの集団の単位で存在する。

そこを気づきたい。


気づいた上で、理解した上で、

その中で生きていく。

生きていく上での責任をとる覚悟をする。

その瞬間、問題と思っていたことが問題でなくなる。

そして、病は消失する。


実は、これはとても武道的な考え方なのだ。

2015年1月 4日 (日)

五嶋みどり

数か月前、この方のドキュメントテレビを知人から勧められ、

見たのだがなかなか感想が書けなかった。

遅れて、ここに書くことにします。

幼少から世界に認められる天才バイオリニスト。

20歳代に拒食症など心身症的症状が現れ、

克服し、現在は日米をまたにかけ大学教授として

ヴァイオリンを教えてらっしゃる。

ここでのポイントは、

なぜ心身症になったかのか、ということだと思うのだが、

そこのところはこのドキュメントではサラッと流していて、

それよりも、ご自身のバイオリニストとしての更なる

追及だけでなく、身障者による音楽公演のサポートなど、

バイオリンなど音楽を特権階級のものではなく、

もっと普遍的で人間のエネルギーの表現とでもいう、より大きな枠で

捉えようとしているように思えた。

おそらく自分の心の器以上の才能に翻弄されたが故に、

すり減らした自分を取り戻すために、

悲鳴を上げていた本来の自分が心身症状を発症した。

そして、改めて音楽とは違う分野の大学などで勉強し、

音楽づくめだった本来の10代の自分を取り戻し、

そして、自分にとっての音楽、、バイオリンという位置づけを

理解した。


ある種、変容した彼女は人間的にも成長し、音楽に対する

考え方も変わったのだろう。

きっと、幅広い音楽観をもたれたに違いない。


ここでは、10代での家族の関係性や、彼女の本来の性質などは

考慮に入れていないので憶測に過ぎないが、

番組内での彼女の立居振舞でなんとなく想像ができる。

これは、人が成長し、気づきを得るプロセスと同じだ。

ある種彼女は悟ったのだ。

だから、彼女は伝統的コンサートホールでの身障者公演という前代未聞の

イベントを敢行した。

人の成長のプロセスとは普遍的に同様なものなのだ。


世間的に有名な幼少期からの天才たちは、

10年後大人になり、大体精神的に破たんしている人が多いという。


天才と言えども、まさに心の成長のプロセスは同じということだ。


話は戻り、五嶋みどりという人は、

番組でも言っていたが、まさにバイオリンを通しての求道者なのだと思った。


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