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2013年7月

2013年7月16日 (火)

山本太郎

先日、街頭演説をやっていた。

非常にもっともなことを言っていた。


詳細な内容は、どうでもいい。

どうでもいいというと、語弊があるかもしれないが、


山本太郎が言っていることは

真実なのかもしれない。


原発、TPP、ブラック企業

要するにこの3つをなくせと言っている。


この3つに関して、利益を得るのは、ある企業であり、

一般市民はどんどん立場が悪くなっていくと言っている。


だから、それをなくすためにどうすべきか、、、


そういう仕組みに絡み取られた、、つまりシガラミのあるひとでは、

もうそれは無くせないっといいているのだ。

要するに、

何もシガラミがない自分を政治に送り込むために、

投票してほしいといっているのだ。


そして、そういうムーブメントを起こしていきたいという。


そこから先はどこまで信用するか、、選択するのは皆それぞれだ。


山本太郎自身は単純に生き残りたいから起こしている行動だという。


確かに、3・11の出来事から彼は変わった。


そんな感じはしていた。


彼の演説は説得力があった。


彼の展開する想いは周りの空間に伝搬し、


聞く人たちに少なからず影響を与えた。


そういう力を持っている。


そこにとても興味をそそられる。


だから、最初内容なんてどうでもいいと書いてしまった。

誰にでも想いはある。


だから誰でもその想いでもって周りのひとを巻き込むことはできる。


人間であればみんなそういう能力はあるのだ。


ただ、どこまでそれを信じて、情熱をもってそれを伝えることができるか、、


そこがポイントとなる。


でも大体の人は、自分自身が作り上げた想いを信じられなくなる。


なぜなら、それを否定する人たちが必ずいるからだ。


外側にも内側にも。


そして、その想いを提唱した自分自身も信じられなくなる。


一歩間違えば、病が発症するくらいだ。

山本太郎はそこを乗り越えようとしている。


そして、それを自分でどう表現していたか。。


”そんなバカな自分を参議院に当選させてくれ”


と言っていた。


そうだバカになる必要があるのか。。


自分はバカに成りきれるか、


どこか小賢しいところがチラつく。


どこか誤魔化している。

50にして、バカに成りきる。。。

できるのか?


さて、


ここから先は、現時点での自論、、

当然様々な本や思想の影響があるので、

全体的なバランスがどう偏っているかはわからない。


人間は宇宙の法則から生まれた一生命体だ。

それ以上でも、それ以下でもない。

だから、その観点からいくと、

人の命というのは、タラコの卵一粒となんら変わりない。

運のいい個体はうまく生き延び、

運の悪い個体はいとも簡単に死んでしまう。

有機物から生命が生まれ、

単細胞から多細胞に進化し、

快と不快のセンサーを発端に

様々な感覚が発達していく。

人の頭の中を開いてみても、

私という統合した部分は発見されないという。

前に書いた感覚などのインプットされる部分、

筋肉などを動かすアウトプットする部分、

記憶する部分、

制御する部分、


それぞれの部分が散らばっているだけだ。


つまり、

それぞれの脳がもつ部分の特性と、

それぞれ個体の経験/体験で、

それが、バーチャルな空間に発生するかのごとく、

私という陽炎(かげろう)が浮かび上がる。


陽炎である私は、

自分の存在を強化するために、

過去の反省をもとに、

未来に備える行動をとる。


私たちは、

陽炎である私の集合する社会を統制するために、

様々なストーリーを作り始める。

政治、宗教、天国、地獄、前世、後世、神様、仏様、お化け、幽霊、学問などなど、

それぞれの社会は、それぞれの文明/文化を形成していく。

もともと、陽炎(バーチャル)である私達が作り上げた文明/文化のフィードバックをうけて、

バーチャルである私経由で脳のそれそれの持つ部分の強化がなされていく。


脳への継続的な強化は、幾世代かのうちにDNAにも影響をする。


バーチャルである私がいつの間にか絶対的なものとなり、

社会のなかで、比較され、競争を強いられ、

たかがバーチャルな私であるにもかかわらず、

思い悩み始める。

じゃー、バーチャルじゃない私というものはあるのか、、

あるマスターは”ない”という。

そこに行きつくことが最終的な悟りだと言っている。

僕自身にはまだわからない。


ただ、想像はつく。


エゴに巻き込まれているときの、私の状況を思い浮かべたとき、


私がなくなった時の静寂を想像することができる。


おそらく周りとの一体感と恍惚感で、まさに我を失う状況だろう。

。。

。。。


本当にバカになるということは、

私を無くすということなのだ。

2013年7月11日 (木)

わかってきた。


わかってきた。

わかってきたからといって、すべてチャント100%出来るとは限らない。

しかし、大分わかってきた。


間違いなく、


・一元塾の合気道の中心帰納の感覚と、


・クラニオセイクラル・バイオダイナミクスのタイド、スティルネス、ステートオブバランス
 を感じている時のある感覚と、


・Who Is Inの一瞥のタイミングの時に感じているあの感覚は、


同じ質感だ。

3つのそれぞれ違う事、

合気道、癒し、瞑想、

の根っ子が同じだということだ。

おそらく、一つだけを習っていたら、

なかなかわからない。


昔の剣の世界の人が、

禅をやったのは同じことなのではないか、、

ふと思った、

同じ質感ということは、

考え方も同じなのではないか。

それぞれ3つは、表現は違うけど、

突き詰めれば、思想は同じなのだ。


思想とは自分の中での考え方のことだ。

自分を整えるためのものだ。


相手にとやかくアーダコーダ説教をするためのものではない。

ところが、相手をどうにかしたくなる。

合気道だったら、相手をどうにかしてやっつけたくなる。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスだったら、相手の悪いところを

どうにかしてあげたくなる。

Who Is In だったら、パートナーのストーリーに巻き込まれたくなる。

そうじゃない考え方の背景にその質感がある。


だから、それぞれをある程度習得するためには、

思想を理解しなければいけない。


頭だけでの理解ではおぼつかない。

あることを信じなければならない。

その結果、感じられるのがその質感ではないか、、


少しでも感じられたら、それを深化、純化していく作業をしていく。


そのプロセスはおそらく、悟りを得るためのプロセスとよく似ている。


いや、おそらく同じなのだろうと思う。


そういうプロセスを 先ほどのそれぞれの3つは、

違う方便を使う。


そして、それぞれの流儀の言葉を使って、その質感を説明する。


そういうことが、わかった、、、、


つもり、

なんちゃって。

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