2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »

2012年11月

2012年11月29日 (木)

親父が倒れて思うこと

先日、親父が倒れ、入院した。

脳梗塞かと思ったが検査の結果、

高齢による、三半気管の機能劣化で立てなくなったと

いうことだった。


結局 2日で退院し、病室の空きが個人部屋しかなく、

一泊で5万という高額な金額を払いうこととなった。


どうも、これに適応される民間の保険には入っておらず、

そのままその金額を払うことになったが、

今まで入院したことのない人生でやっと払った5万円

なんて安いものだと解釈するか、

それでも高いとみるかは考え方次第だ。

一連のやり取りをみて、

不安な気持ちにならなかったかというとウソになる。

人は必ず死ぬ。


しかし、現在は医療が発達、充実しているし、

社会的な保証システムが確立しているので、

早期で死ぬ確率はかなり低くなっている。

その分それまでどう生きるか、どういう死に方をするかなんかを

どうしても考えてしまう。

おそらく江戸時代の人達は、医学や科学が発達していなかった分

生きることに対して必死だった。

宗教的観念も強かった。

女性は出産に耐えうる体が必要だったし、出産は命をかけたものだった。

子供は虚弱であれば、長くは生きられなく、

平均寿命も短かった。

必然的に生命力のある個体が残っていく。

それでも、生命を脅かす環境や事故が出現して

そこで医療は本来の意味を発揮する。

今回親父は入院して瞬間的には安心したに違いない。

しかし、ちゃんと今回のパターンにも適応できる保険に

入っていればよかったと、今後のことを考えて不安にも思ったかもしれない。


症状がもっと深刻であれば、死に方に対しても差し迫った考えが及んだだろう。

現代の医療と充実した社会システムは脆弱な考えを作りだした。

依存体質を人に植え付けた。

結果、現代人は脆弱になっていく。

世間にはそれで良しという人もいるだろう。

それはそれで構わない。

しかし、自分自身に対しては、

そういうシステムの中にいて、

極力 そのシステムに依存しないようにしたい。

そえはひとえに、考え方なのだ。

考え方は行動に反映する。

そうならないように制限する。

それでもそうなったら潔く覚悟する。

それはとても武道的な考えだ。

自分の身を守るために、躊躇なく他人を殺す。

自分の身を呈しても、他人を守る。

真逆のことだが、

人は得てして、同一人物でも時と場合によって真逆の行動をする。

考え方を変えれば180度行動を変えることができるのだ。

その考え方に殉じれば、どちらでも幸福感を感じる。

何度もいうが考え方なのだ。


しかし、

人間は思考、感情、感覚、行動それぞれの部分を

バランス良く統合して成り立たせている。

矛盾する行動には思考のなかで腑に落とす考え方を導きだし、

納得のいかない状況を感情で浄化させ、

違和感を行動で相殺させる。


それらを上手く処理が出来なくなると病(やまい)になる。


人間が作った社会システムなど当然矛盾だらけだ、

そんなシステムに翻弄されて、

自らの命を削るなんて真平だ。


そうならない為には、

自分の中に一本筋の通った価値観を確立しなければ

やりきれない。

そういう普遍的な考え(価値観)を成新会合気道では習う。

そこに気づいて稽古をするかしないかで、

成果は全く変わる。


決して、格闘技のような、技術を学ぶのではない。

競技の強さが、普遍的な強さと勘違いしてはいけない。

勝ち負けは結果であって、

そこに至るまでの在り方を学ぶ。

2012年11月11日 (日)

夏目友人帳


「かんなぎ」に続いて、アニメの感想など、、


よくよく思い起こせば、

このブログで書いている思想としては、

仏教的なプラグマティズムに関して書いているつもりである。

なぜなら、”今ここ”に生きることを究極としているからである。


なので、

前世後世、天国地獄、お化け、幽霊、悪魔、天使の類は全否定だ。

それらは全てファンタジーなのだ。

ファンタジーとはすなわち幻想のことだ。


しかし、

この「夏目友人帳」なるアニメのあらすじは、

下記の通りだ。


>小さい頃から妖怪を見ることができた少年・夏目貴志。

>祖母レイコが妖怪を子分とする証にその名を書かせた「友人帳」を継ぎ、

>自称用心棒の妖怪・ニャンコ先生と共に、妖怪達にその名を返す日々。

>ようやく手に入れた大切な場所で、友人達との深まる絆を感じながら、

>夏目は妖怪達との出会いや別れを繰り返していく…。

これを見て面白く、感動すらする自分をおかしく思う。

明らかに自己矛盾している。

でも、全然違和感はない。


観てみると本当によく出来ている。

妖怪などのキャラクターは、

懐かしさ、切なさ、かわいさ、侘しさ、寂しさ、もの悲しさ、いとおしさ、

ほのぼのさ、温かさ、などなど、

本当に微妙な感情を呼び起こさせるとても良いツールとなる。


ひょっとしたら、

前世後世、天国地獄、お化け、幽霊、悪魔、天使の類は、

最初はこういうことを表現する為の存在だったのではないか。

でもいつの間にか、

現実とごっちゃになっていく人たちがいる。

昔では、宗教の開祖とその取り巻きであったり、

ここ最近では、スピリチャル的な人たちとそれを信じる人たち。

そのほうが、楽しくて、面白そうに見える。


ただ、幻想に巻き込まれてはいけない。


いつの間にかその幻想が、不安や恐怖を煽りたてるようになる。

幻想という方便を見極め、理解できるのであれば、

それはそれでかまわない。


成新会合気道もクラニオセイクラル・バイオダイナミクスも

そういうことを理解しないと、ただ怪しいだけのものになっていく。


気をつけなければならない。


このアニメはとても面白い。

2012年11月 6日 (火)

いつになったら大人になれる

自分が大人になったという感覚が未だにない。

10代のころ20代30代は大人に見えた。

20代のころ40代、50代はとても成熟しているように見えた。

しかし、その年代に到達して全くそんな感じには到底なれない。


多分、当時そう見えていた大人たちも内心は同様だったのではないか。

社会的に、文化的に、

大人と確定される年齢がある。

必然的に大人の振る舞いを求められる。

でも、中身はそんなには変わらない。


知識を沢山仕入れれば、自然と大人になれるとも考えていた。

しかし、いろんなことを知れば知るほど、わかればわかるほど、

世の中の矛盾が見えてくるし、限界が見えてくる。

無意識的に感覚を麻痺させ、奮闘し、空回りする。

でも、確実に年とともに能力は劣化してく。


少し前までは、年功序列なんていういいシステムもあった。

そこをちゃんと理解しているひとは、年をとっても偉そうぶらない。

愛される年寄りになっていく。


沖縄でアメリカ軍の米兵が暴行事件を起こした。

こんなにセンシティブな状況にも思えるこのタイミングで

連続して起こっている。

その米兵たちは想像力が足らない。


誰にでもその人の生活がある。


その人が生きて行く上で、想い合ってバランスをとっている家族が

背景にいるということを理解しなればならない。

人と関わり合うということは、そういう背景にいる人たちとも

関わりあっていくという、理解がなければならない。

ひいては、いわゆる人の尊厳にまでたどり着かなければならない。

そういう想像力が働かなければならない。

そこには、人種の違いや、国の違いや、宗教の違いもない。

人間として根源的なことなのだ。


米兵はなぜそこに思いを馳せられなかったか。。

おそらく、表面的な大人としての社会性など人間関係を保つための

立ち居振る舞いは問題なくできる。

しかし、人の尊厳を思いやることまでは出来ない。

そういうことを教えてもらえなかったのか、聞く耳を持たなかったのか、


その米兵たちはそういう思考が出来ないのだ。


ただ点数を取るための記憶力に重点をおく勉強、

力、スピード、テクニックのみの競技スポーツ、格闘技、

お仕着せの宗教などでは、そういう思考にはたどり着かない。


では、どういう教育がそれを補うというのだろうか。

文化なのだろうか。

社会システムなのだろうか。

家庭の愛ある教えなのだろうか。

いや、違う。

僕の答えはこうだ。

全ての答えの導きは、内省から始まる。

外からの強制的な教えはどうでもいい。

比較なんかもどうでもいい。

何かの衝動にかられたらそれを観照できるスタンス、

即ち、瞑想的に生きるということを学ぶ必要がある。


そういう土壌が無い限り、

いくら外から栄養を与えられても芽はでない。


大人も子供も関係ない。

そこからがスタートなのだ。


成新会合気道、

クラニオセイクラル・バイオダイナミクス

Who Is In

全てがその稽古となる。


« 2012年10月 | トップページ | 2012年12月 »