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2012年10月22日 (月)

永山事件 (ある少年犯罪から見えてくるもの)

日曜日の夜中、永山事件なるドキュメンタリー番組をやっていた。

何気なく見ていたが、あまりにもの壮絶さに自然と引き込まれていき、

最後まで見てしまった。

事件の内容は、1968年、永山則夫という19歳の少年が無差別に
全国にわたり4人を拳銃で射殺するというものだ。

この事件の注目すべきは、

その少年をカウンセリングした100時間という長時間のテープからわかる
その虐待、貧困の内容が普遍的な問題をはらんでいるということなのだ。

不可解だったのは、この事件での精神鑑定書は初の試みで100時間にも及ぶカウンセリングが
行われたのに、裁判では活かされなかったということ。

犯罪を犯すのは個人だが、その背景に及ばないと根本的解決にはならない。

そうでないと裁判とは罰則の恐怖による単なる断罪システムとなってしまう。

一体 どうして この人がそういう行動に出たのか。

なぜ 少年は事件を起こしたのか。

当時世間は事件の原因はただ貧困にあるとされていた。

本人も証言を拒み続け、「早く死刑にしてくれ」と言うだけで何も語ろうとしなかった。

動機は「金欲しさ」ということだけで終始していた。

精神鑑定は問診や医学的検査更に写真や絵から受ける印象を選択させるテストなどを行い1か月ほどで

被告人の精神状態や性格の傾向を診断するのが通例だということだ。

しかし、従来の鑑定では十分ではないと考える鑑定士がいた。

そこでカウンセリングをということになったそうだ。

面接の初日小さい頃の記憶を問われた永山は生まれ故郷網走の風景から語り始める。

貧しさ、大所帯、1日中行商の母親。

バクチ三昧の父親。夫婦の破綻。

進学をあきらめた19歳の長女が母親の代わりに育児。

長女と婚約者との別れ、身ごもっていた子供の堕胎。精神病院への入院。

途方に暮れた母は、4人の子を捨てて実家の青森に帰ってしまう。 

一番幼い則夫はまだ5歳。


凍て付く冬にごみ箱の残飯をあさり、港に落ちた魚を拾い乞食のように生きて行く。

役場の働きで母親のいる青森へ送られる。

相変わらず母親は一日中行商。

兄弟から気絶するまで暴行を受ける。

母親からも父に似ているということで、暴行とネグレクトを受ける。

退院した長女が29歳で帰ってくる。

唯一やさしかった長女。

小学校から帰って来た時、近所の男と寝てる長女の姿を見てしまう。

子供を身ごもり産もうとしたが母親に止められ、堕胎。

永山は堕ろした子を墓まで運び埋めさせられる。

墓地には墓石が無く母に指示され家にあった漬物石を置く。

それ以降長女への嫌悪感が芽生える。

長女の精神病の再発。

行方不明だった父が突然現れ家に入ろうとしたが、兄たちが木刀で殴りつけ追い返す。

それから数年がたち父が死んだという知らせが届く。

長女とのことと父の死は

「自分はなぜ生まれてきたのか」という絶望と自殺願望の原点となる。


仲の良い友達もなくたまに学校に来ても何をするでもなく一人校庭を眺めているだけ。

手のつけられない不良少年とかいう事もない。

しかし 家では徐々に様子が変わっていく。

妹などに暴力を振るうようになる。

中学3年になって集団就職で町を離れる日が近づいてくると、

金がなく上京の準備もできず永山は呉服屋でワイシャツを盗む。

母はただ永山を疎ましく思うばかりで、

永山が集団就職で青森を発つ日、家族は誰も見送りにこなかった。

今までの人生で、彼はいい人間関係をほとんど持てていない。

社会性を発達させる機会がなく、絶望、自己嫌悪、自殺への思いを抱いて上京。


就職したのは渋谷駅前にある果物店で、

果物店の上司が永山が呉服屋でシャツを万引きした話を聞きつけて帰ってくる。

それを契機に、

1週間後荷物を置いたまま身一つで寮を飛び出し、職場を転々とし始め、

最初は必死に働くものの荷物を置いたまま逃げ出すという全く同じパターンを繰り返す。


行くさきざきで募る不安と猜疑心、人間不信、恐怖。

褒められた事も全部人間不信不信感につながっていく。

いい事してくれても被害妄想的になる。

最後にたどりついたのは 横浜や川崎での日雇いの港の仕事。

2日も続けて働けば足腰が立たなくなるような過酷な現場で、

何度も自分の手首を切りつける。

無口で小柄な永山はリンチの的になり、

むかし、暴力を振るわれた時と同様に「我慢していればいつか終わる」とただ耐える。

行く当てをなくし母のいる故郷青森に向かったが、

長屋で独り暮らしになっていた母親からは一切温かい言葉はなかった。

、、、、、、悲惨すぎる。


逮捕されて以降沈黙を守り、6年たってからカウンセリングが始まる。

東京拘置所の2畳半の独房。

永山は ここで多くの事を学ぶ。

そこで、母の生い立ちを知る。

母の子供を捨てるという行為は母親自身の生い立ちが関係していることを知る。

2歳のときに父が無くなり、再婚相手からひどい暴行を受け続ける。

自身の母親が起こす無理心中未遂。

母親にとって子供を捨てるというのはそんなにむごい事ではないという価値観。

悲劇の世代間連鎖。


永山はそれを知っていたらこの事件は起こさなかったと、つぶやいたという。

母親への憎悪は少しずつ、形を変えて行く。

この永山は間違いなく単なる貧困だけではなく、

虐待等による環境によるトラウマによるPTSDであった。

人格とは適正な環境に育つことにより成熟と統合をなし形成されていく。

その機会を得ることが出来なかった。悲しいことだ。

この事件はそこを考慮しなければ、


そこを社会にフィードバックしなければ何の意味もない。


永山は 逮捕されてから28年間獄中で勉強を続けたという。


作家として活動するようにもなる。


被害者遺族には印税を送り続け、二審が始まる頃獄中にありながら妻を得る。


母親に手紙を送り始め、母を許し自分自身に向き合おうとする。


母と長女に印税から仕送りを続ける。


48歳になった夏絞首刑が執行される。


信頼する力、意欲的な気持ち、自律しようとする思い、継続的努力、許容力


というものは、人からの愛情、尊重という心の栄養をもとに育てられなければ実らない。


母親からの愛情は、特に重要だ。


安らぎの場所がなければ、不安、恐怖に縛られたままとなってしまう。


その状況は、PTSDの症状として、脳の海馬という部位にも影響を及ぼすという。


ここまで絶望的な人生を送っていても、


この永山は自分の心の成長を成し遂げる。

独房という中にあっても、


理解者がいて愛と尊重をもって接する人がいれば、


そして、自分の無知を知り、向き合い、


全体を理解するチャンスを得れば、


受け入れることができ、許すことができるのだ。


このプロセスは全ての癒しのベースなのだ。

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