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2012年9月

2012年9月18日 (火)

Who Is In リトリート

3泊4日の Who Is In リトリートは、

相変わらず強烈で、”静寂”を感じるための有効なツールであり、

僕にとって、もっとも近道を約束してくれる。

”静寂”といっても、それぞれ個人が感じる質感なので

参加する皆が同じ感覚なのかは到底わからない。

何回か体験しているので、その感覚にインテンシブにたどり着こうとする。

それはとても自分のなかでテクニック的で違和感を感じた。

それを批判的に観ている自分がいる。

またそれらを観ている自分もいる。

どれが本当の自分なのか。

批判的に観ている自分の方が正しいと思い込んでいる自分がいる。

変にストイックなところがあるので、心地いい静寂を求めることに違和感を感じる自分がいる。

かと言って、さらに静寂を深めようとインテンシブになるのも止めた。

そこでただただ感じている感覚を味わうことにした。

すると、暖かいものがこみ上げて、顔が緩んだことを覚えている。


Who Is Inは思考を切り口とした瞑想だ。

その都度、出てくる思考(マインド)は毎回手を変え品を変えトリックを使う。

そのマインドは自分が正しいと主張する。

なぜならそのマインドは自分が生きてきた証(あかし)だからだ。

それを否定することは自分を否定することになる。

その作業はとてもしんどい。

そういうことを理解しなければならない。


”今ここ”で心地よさを、感じている、

それに没頭している自分。

それでいいのではないかと思った。

目に見える映像が溶け出して一つになっていく。

そこには今まで吐き出していた不安や心配事はない。

その瞬間の感覚だけが存在している。

一夜明けて今日、

出社して会社の存続に関わるトラブルについての

社内ミーティングがあった。

昨日からの質感が継続しているので、そこに不安や心配事は微塵もない。

今そこにある問題点を冷静に対処できる感じだ。


大なり小なり様々な問題を目前にしている人たちにとって、

このワークはもってこいだ。


どれだけお祈りをしても、問題の状況は変わらない、

現実を受け止めて淡々と最大限の努力と処理を遂行するしか手立てはない。

変えられるのは自分の心の中だけだ。

会社が潰れるかどうかの成り行きは運次第。

そこに必要なのは覚悟だけだ。


何回もいうが、この考え方は合氣道でもクラニオセイクラル・バイオダイナミクスでも

共通だ。

ファシリテートしてくれた先生ありがとうございました。

人里離れたリトリートから帰る間際

山に虹がかかっていた。


とても綺麗だった。

写真の虹見えるかな。


Photo_3

2012年9月13日 (木)

やったもん勝ち

世の中に数多あるどのセラピーを選択すれば良くなるのか、

こんなに沢山の宗教のどの神様を選択すれば一番幸せになれるのか、


それは簡単だ。

どれを選択しても本人の問題なのだ。

どれを選択しようと本人がその考え方を信じ没頭すれば救われる。


教えを受けているその相手(個人、媒体)に依存して、翻弄されていては

真理は見いだせない。


大切なのは、チャントした思想があるのかどうかを理解し、

腑に落とせるかなのだ。

宗教に思想? と思うかもしれない。

要するに考え方のことなのだが、その宗教が発生した

史実によってマチマチなのだ。

ある宗教に属する人は、ダーウィンの進化論を大学で勉強をしつつ、

ノアの方舟を本気で信じている。


セラピーにもある種の思想と一貫性が必要なのだ。

筋肉の硬いところを物理的に揉みほぐすのが一番という

思想があれば、揉み方の様々なテクニックを生む。

それを習う人はそれを信じてテクニックを磨く。

受ける人はそれをありがたく受ける。


背骨の歪みを治す思想であれば、それを治すテクニック。


そいう思想を信じて、受け継ぐ者は習い、クライアントは施術を受ける。

でも思想が矛盾してたり、浅いと、どんどん付け足しで様々な知識としていろんな

セラピーを習いたくなる。受けたくなる。テクニック自体も変質していく。


場合によっては、思想が深すぎて本人が理解できなくて別のセラピーへ

移行してしまう場合もある。

差し詰め、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスはそれに該当するのではないか。

習っているとこんなに素晴らしいセラピーはないのでないかとおもい。

受けてみて同様に実感し、

でも、自分を疑い始め、やめてしまう人もいる。

世に沢山ある、セラピーでも、宗教でも、武道でも、

なぜにあんなに沢山の流派があるのか、、、


それぞれ違う思想(考え方)をぶち上げて、

それに沿ったテクニックがあるだけなのだ。


善し悪しではない。

でも、どの思想も純度を高めていくと

終極 一つの方向を指し示すかもしれない。

よりそれに近い思想をもつ一流一派に出会うことが、

幸せなのかもしれない。


クラニオセイクラル・バイオダイナミクス
成新会合氣道 
Who Is In

は、そう言う意味で思想が一致する。


それで一流一派を成し遂げるか。。


やったもん勝ちだ。

2012年9月 7日 (金)

目に見えないことは何とでも言える。


言った者勝ちだ。

それぞれの人がそれぞれ感じたことをいうものだ。

でも言い放った分、責任を持たなければならない。

話のつじつまが合えば、みんなの常識となり、

文化にまで発展する。

神様、仏様、などはいい例だ。

それで皆が納得して幸せになれば全く問題はない。

仏教だって、御釈迦さんが、当時主流のバラモン教の輪廻転生を否定していたのに

いつの間にか、時間と様々な地域を経て、もどって輪廻転生が付加されいる。

おそらく、輪廻転生、前世後世、天国地獄などのストーリーを加えたほうが、

不安や恐怖を煽り、人の心を掌握するのが容易なんだろう。

そもそも人は安易に流されやすい性質なのだ。

それでも特にそれが害にならなければ問題ない。

最近 周りでアカシックレコード・リーディングなるものを耳にする。

人類の集合意識と個々の転生に関するすべての情報が記録されおり、

その情報を引き出すことをいうらしい。

そして、そのノウハウを教えてくれるという。


これはどういうことなのだろう。

DNAの解読のことでもない。

集合意識というユンクなんかが言っていたような概念と、昔からの先ほどの輪廻転生

の概念をひっつけて、そういうレコード(記録)があり、それを読み取るということなのか??

過去には、エドガーケーシーという人が有名だったようだし、

今日本にはゲーリーボーネルという人がその業界の有名人らしい。


間違いなくそのアカシックレコードなるものも目に見えないからなんとでもいえる。

少し文章のあたりが強いのは、どうも目ん玉の飛び出るようなセッション料でかつ

それに飛びついている人がいるようなので羨望の感情があるようだ。

それも害がないなら問題ない。

そういう自分も、

目に見えないものの一翼を担う、氣なるものを

最近、信じるようになってきている。

成新会合気道を初めて、今になってさらによくわかってきた。

何がわかってきたというと、

「在る」ということだけがわかってきた。

それは間違っても、相手の体に直接作用させるものではなく、

相手の気持ちに作用する。

感じるもの。

その存在を認めないと、攻撃してきたものを避けるモミクチャの攻防になる。 

既に生き死の勝負がついているのに、ゾンビの戦いが続くことになる。


自分と相手との氣の交流のなかで、生き死にの運命が分かれる。

覚悟をしてその瞬間を受け入れ、良しとする。

覚悟をして受け入れた時の瞬間は清々しく気持ちがいい。

過去に対する後悔や、未来への未練も感じない。

そうなりたい。

そういう思想が人を本当に幸せにするのだと思う。

そういう個人の多くいる社会は安定するだろう。

輪廻転生、前世後世、天国地獄、アカシックなんちゃらも、

瞬間という現実を受け入れるための方便としてあるのなら、

考え方として受け入れられる。


つい最近、

我社のお手伝いをしていただいている自称物理学者のおっちゃんが、

あれほど神様、仏様などいないし、前世後世などある訳が無いと言い放っていたおっちゃんが、

紛失した老眼鏡に対して、これは神さんが換え時だと言っているんだと、、

ボソッと口走っていた。


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