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2012年8月

2012年8月22日 (水)

想い


人間、みんな想いのなかで生きている。

その想いは皆それぞれ違う。

ものすごく違う。

そして、その想い方によって、人は変わるということが、

成新会合気道 一元塾の合気道をやっていてよくわかった。


対立という状況にある感情や思考は固執を生む。


それを無くすには、想い方を変えるしかない。

決して身体操作の切り口で解決はできない。

成新会合気道はその想い方を教える。

しかし、想い方は手取り足取りでは教えられない。

だから、難しい。

だから、質感をつかみ、自分にフィードバックさせていくしかない。

センスがいる。

想いが変わると動きの質が変わる。

気持ちも変わる。

それを感得することが受身をするということなのだ。


殺しに来た敵が、恐怖に居着いている相手を攻撃するのは手応えがある。

しかし、相手が恐怖という感情がなく、不安な思考もない状況だったら

殺しに来た敵は、手応えがあるだろうか。


そして一元塾では、その想い方の中で自然に動ける動作の稽古をしていく。


こちらの対立した想いとは全く無縁な想いで、

そして無意識的に自然な攻撃をしてくる敵がいたら。

恐ろしくて近寄れない。


重要なのは想い方、つまり考え方なのだ。

こちらの想い方は自分を変え、相手をも変える。

考えが変われば動きもかわり、行動も変わる。。。


こんなことは、心理学やいろんなところで話されていることで

頭だけで、みんな知っている。

武道においてどういう想い方が有効なのか、

成新会合気道 一元塾でどういう想い方を教えているのか、

その場に来て、それを習うしかない。

先生を触るしかない。

言葉を理解するだけではわからない。

想い方には質感(クオリア)が伴うからだ。


新成会合気道は強くなることを教えるのではない。

上手になることを教えるのではない、

強くなること、上手になることは結果であって、

本質は、想い方を教えることなのだ。


これは、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスも同じことだ。


約1年前、同じ題名でブログに書いていたことがわかった。

少しは成長の跡は見られるだろうか。。。

↓↓↓(オモイ)

http://cranioaiki.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/post-52c8.html


2012年8月15日 (水)

マンツーマン稽古 

昨日はお盆中ということで、

誰も参加せず、総師範と私とのマンツーマン稽古になった。

とても有益だった。

総師範にはただただ頭が下がります。

感謝いたします。

平井先生が残された”腰回し”という極意を会得しているのは、

光輪洞合気道の歴史のなかで、

結果的に袂を別れた成新会合気道一元塾の成田道主と遠藤総師範の2人だけである。

先生方は、それを今のメンバーに残さなければならないという

使命感のようなものがあるのだと思います。

この腰回しが、剣の一の太刀や、相抜け、大東流の合気などの極意と

全く同じかどうかはわからない。

しかし、感覚的に同じなのではないかと想像します。

少なくとも、僕が習ったことのある、合気会や、システマではこういう質感のものは

全く感じなかった。

おそらく、それら団体では全くそのことを教えるつもりがなかった。

なぜなら、指導者も教えてもらっていなかったから、知らないというわけだ。

ひょっとしたら、日本武道の本質かもしれないこの極意を

根絶やしにするのは日本の損失といっても過言ではない。。。

なんてすら思う。

それをどうにかして受け継げるよう頑張りたい。

そして、それをどうにかして遍く認知してもらえるようにしたい。

おそらくこんな素晴らしいことを教えているところは世界中どこにもない。

では、なぜ今まであまり認知されなかったか。。

それはひとえに習得が難しいからである。

それを容易にマスターするシステムが存在しなかった。

一子相伝という言葉の意味がよくわかる。

多数の人に同時に教えることが難しいからだ。

そこをなんとか効率のよいシステムを作りたい。

でも、そのためにはまず会得しないといけない。

あージレンマ。

2012年8月14日 (火)

身体操作って、、


最近武道ではこの言葉をよく耳にする。

こういう時はこうする。

こうだから、そうする。

高名な武道研究家は、術ごとに身体操作を分解して教える。

型稽古のように。

その場面、場面の応じたカラダの使い方を教えてもらっても、

対立の中、臨機応変に使えるのだろうか。

旗上げゲームみたいな感じになるのではないか。

成新会合気道 一元塾では、


臨機応変して対応するキリのない身体操作ではなく、

どんな状況でも対応可能な一つのことを学ぶ。


その一つの ”想い”と”感覚” を学ぶ。

具体的に言うと、

球を想い、その延長線で無の境地を学び、

手やカラダの角度、タイミング、スピードなどを学ぶのではなく、
その時に現れる全体的な質感を感じる感性を学び、

対立の中にあって、お腹の緩んだ感覚を学び、

”游”という概念を学び、”浮”の境地を学び、

”氣発”を学び、”中心帰納”を学び、

そして、”入り身”を学び、”腰回し”を学ぶ。


一つことを、上記の様々な切り口で学ぶ。


そうすると、必然的に


足幅せまくシモクになり、背筋が真っ直ぐになり、
カラダのシナヤカさが出てくる。


結果として適正なる身体操作が出てくる。


たった一つのことなのだか、とても習得するのは難しい。


しかし、薄紙を剥がすように、わかってくるし、


その考え方による動きが染みてくる。


知らず知らずのうちに、上達し、いい意味で人間的にも変容してくる。


それは認知行動療法のようだ。


認知、、つまり想い方、感じ方を変えて、
行動、、つまり身体操作をする。


ここまで、首尾一貫して、矛盾しない武道を僕は知らない。


2012年8月 6日 (月)

自分を知るということ。

リラックスして寝ているようでも、

必ず、不必要に、体のどこかが緊張している。


人によっては、寝ている間、歯をすり減らすほど噛みしめ

筋肉痛になるほど、手をにぎりしめている。

でも、そのことすら気がつかない人も多くいる。

そもそも緊張とは生命をまもる手段だという。


目の前に飛び出してきた車を避けるために瞬時に緊張したり、

離婚という出来ごとで異性に対する不信感により、首を緊張させたり、

親からのお利口さんでいなさいという口癖を小さいころから、お腹に力を入れ聞いていたり、

なかなか上手くいかない自分を責めながら、握りこぶしを作っている。

元来の持病からくる緊張もある。


そういう緊張は無意識的に体に刷り込まれていく。


その緊張は衝撃が強ければ、トラウマという呼び方もされるが、

人それぞれ緊張の大小はあり、蓄積やチョットした人間関係のタイミングで、

またその人元来の性質も加わって、

睡眠障害、様々な依存症、身体的疼痛、うつ病、パニック障害、解離性障害、、


などが体の表現として出てくる。


そういう物を解消するために、

あるセラピーは、その緊張の背景にある過去のストーリーを分析しようとする。

別のセラピーは、その時に閉じ込められたエネルギーを発散させるように促す。

西洋医学では、脳内や体内の物質をコントロールするために薬を出す。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは

そういう緊張を解消するのにはもってこいだ。

なんだかんだ説明する必要もない。

体を通して、自分を模索し始める。

そして、自分を知りたいと思うようになる。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを受けるに従って、

習うに従って、内なる探求をせずにはいられなくなる。


合気道も、自分に目を背けていては上達はない。

緊張が外部からの衝撃を身も守ることを知りつつ

敢えて、そこをリラックスをする訓練をする。

なぜなら、研ぎ澄まされた鉄剣の前では、如何に身を固めても

歯が立たないからだ。

自分の中の緊張に気づかずにリラックスは出来ない。

つまり、自分を知る必要がでてくる。

どんなセラピーでも、どんな武道でも、

その究極は、本当の自分を知ることである。

活かすためのものと、殺すためのものの

目指す目標が同じということは、

古来から言われている通りだ。

しかし、自分の中の緊張に気づいてわかっていても、

リラックス出来ない場合もある。

では、そいう時はどうするのか、、、


ただ、認知(考え方)をかえるだけで良いのだ。

わかるかな?

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