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2012年6月18日 (月)

社会に適応するということと合気道。


みんな自分は標準的な人間だと思って、生活している。

傍からみてかなり標準から逸脱して人も多くいるように見える。

あくまでも、自分の主観で思っていることなので、

本人が正常範囲だと思っていれば、そうなのだ。


それが、ある日突然、もしくは薄々違和感を抱いていた人が、

何かの拍子に、自分がわからなくなる。不安に苛まれる。

周りの人が自分に対してする接し方、評価が、

自分自身とギャップがあることに意識的に気づく人もいれば、

無意識のなかで感じているだけの人もいるかもしれない。

結局、みんな自分を客観的に見ることは出来ていない。

それは、主観を交えず観るということだから、

もしそれが出来るのであれば、周りが何と言おうと気にならないハズだ。

全ての人は、回りからの比較の中で生きている。


その状況になれば、

神ですら、不安の中で崩れ去っていく。


たぶん、普通の人なら何らかの病(ヤマイ)を発症する。


敏感な人にとっては、それは病気だし、

鈍感な人は、自分のクセだと思うかもしれない。


そこで絶対的な何かを求めることは得策ではない。

相対的な中にあって、客観的にみる訓練をするべきなのだ。


格闘技、武道をしようとする人は、大概、強さを求める。

運よく身体能力がある人は、なおさら調子づいて

筋肉の鎧を身にまとい、拳を鉄に変えようとする。

スピードとタイミングを得るために繰り返しその稽古をする。


どんなに筋力があっても、体が大きくても、俊敏でも、

絶対とい幻想を追い求め続けるのであれば、

結局は相対のなかでの優劣に苦しむことになる。


そして、攻防のなかで、優劣にマインドが駆られ巻き込まれ悪循環になる。


まさに、現社会と同じだ。

それよりも攻防の瞬間瞬間を客観的に観ることで、

その瞬間を余裕のある心境にいれば、

場合によっては修正可能なチャンスが訪れるかもしれないと

考えた方が楽だ。


成新会合気道一元塾で現在やっていることは、その為の稽古なのだ。


一元塾の稽古は現社会での生き方を指し示す指標となる。


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