2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

2012年6月28日 (木)

この世に、無病息災はない。

それは理想だ。

健康とは、ある範囲にいるということだけなのだ。

血液検査では数値化されて、範囲内にいるか、いないかは明確だ。

範囲内でも、必ずしもホリスティックに健康とは限らない。


痛み、不快なども間違いなく基準になるが、

人によって主観が働き、受け取り方が違うので、その客観的数値と一致するわけではない。

個人が健康の範囲でも、家族、属する組織や、社会が病んでいるという考え方もある。

僕も含めて、健康が当然だと思っている人が多くいる。

そして無意識的だ。

病いという認定を受けて始めて、愕然とし、初めて認識する。


その状況にならないように、限りなく努力をしろ、ということではない。

そうなったら、諦めろということでもない。

そうなることを覚悟をしておけということなのだ。

質は違うが、老いもそうだ。

究極のアンチエイジングでも老いは止められない。

それも、諦めるのではなく、

同じく、覚悟をしておけということなのだ。


もっというと、

誰もが、病や老い以上に、死に関して無意識的だ。

なぜなら、病や老いはプロセスを現すが、

死は瞬間を現したものだからだ。

自分の死に関しては、自分は知ることはない。

誰もが100%死を体験するのだが、その瞬間以後は自分は無くなるのだから。


死を無視することは簡単だ。

積極的に向き合うわなくても今は困らない。

つまり、死を思うことは、とてつもない想像力がいる。

経験として語り継がれることもない。

想像するしかない。

そして、死は、病いや老いの延長線上ではなく、

常なる瞬間にあることを理解することが大切なのだ。

そこまでくると、病いも老いもある意味、享受できるのかも知れない。


瞬間を極めれば、楽になるなのだ。


世の中の皆がそうなると

皆が楽観的になり、社会も良くなるだろうに。


それを意識的に、稽古できる場としては、


「Who is in」成新会合気道一元塾がうってつけだ。


でも、当然ながらムズカシイ。

2012年6月18日 (月)

社会に適応するということと合気道。


みんな自分は標準的な人間だと思って、生活している。

傍からみてかなり標準から逸脱して人も多くいるように見える。

あくまでも、自分の主観で思っていることなので、

本人が正常範囲だと思っていれば、そうなのだ。


それが、ある日突然、もしくは薄々違和感を抱いていた人が、

何かの拍子に、自分がわからなくなる。不安に苛まれる。

周りの人が自分に対してする接し方、評価が、

自分自身とギャップがあることに意識的に気づく人もいれば、

無意識のなかで感じているだけの人もいるかもしれない。

結局、みんな自分を客観的に見ることは出来ていない。

それは、主観を交えず観るということだから、

もしそれが出来るのであれば、周りが何と言おうと気にならないハズだ。

全ての人は、回りからの比較の中で生きている。


その状況になれば、

神ですら、不安の中で崩れ去っていく。


たぶん、普通の人なら何らかの病(ヤマイ)を発症する。


敏感な人にとっては、それは病気だし、

鈍感な人は、自分のクセだと思うかもしれない。


そこで絶対的な何かを求めることは得策ではない。

相対的な中にあって、客観的にみる訓練をするべきなのだ。


格闘技、武道をしようとする人は、大概、強さを求める。

運よく身体能力がある人は、なおさら調子づいて

筋肉の鎧を身にまとい、拳を鉄に変えようとする。

スピードとタイミングを得るために繰り返しその稽古をする。


どんなに筋力があっても、体が大きくても、俊敏でも、

絶対とい幻想を追い求め続けるのであれば、

結局は相対のなかでの優劣に苦しむことになる。


そして、攻防のなかで、優劣にマインドが駆られ巻き込まれ悪循環になる。


まさに、現社会と同じだ。

それよりも攻防の瞬間瞬間を客観的に観ることで、

その瞬間を余裕のある心境にいれば、

場合によっては修正可能なチャンスが訪れるかもしれないと

考えた方が楽だ。


成新会合気道一元塾で現在やっていることは、その為の稽古なのだ。


一元塾の稽古は現社会での生き方を指し示す指標となる。


2012年6月 8日 (金)

先回りして考えるということ。

お利口さんでいなさい。。。


という親や社会からの教育は、


気の利く子供にとって、


無意識的に先回りして考えることを強要する。


そして、褒められることで更にその無意識は強化される。


無意識だから、気づかずにその思考をやっている。


それは思考のクセだ。

この前、カウンセリングセミナーの中で、


ファシリテーターから指摘され気がついた。


ぼくは、常に無意識に、


相手の考え、感情、を先取りしようとして、頭をフル回転させている。


そして気の効いた答えを用意しようとしている。


お利口さんでいようとしている。


相手の、今ここの感情を理解してあげれば良いだけなのに。


先回りしても、必ずしも正解とは限らない、むしろチグハグになってしまう。


チグハグになっている状況を回復させようとして焦りの感情が露わになる。


相手のことより自分のことで精いっぱいになってしまう。

合気道に置き換えて考えてみた。


相手の攻撃に対して、先回りして防ぐ、避ける。


自分だけ無傷で助かろうとして、相手の考えを攻撃を予測して、


一番効果的なスピード、タイミング、角度を


頭をフル回転して、都合のいい防御をする。


でも、攻撃は毎回パターンが違うので、


予測してやっても上手くいかないことのほうが多い。


うまくいかない状況を回復させるために、更に踏ん張って立て直そうとする。


それよりも、


目の前の攻撃に惑わされず、


今ここの瞬間で相手の中心を攻めた方が効果的だ。


ただ、自分は無傷でいようなどというエゴを差し挟まないことが条件だ。

先回りして考えても何も良いことは無い。


不安になるばかりだ。


今この瞬間全力でやるばかりだ。


« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »