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2012年5月26日 (土)

ミーム

ムーミンではない。

元々は、

ダーウィンの進化論から派生してきた考え方で、

「生物の進化のために遺伝子が存在する」のではなく、
「遺伝子が進化するために生物が存在する」という考えがあるとのこと。

その考えかたを「文化」にもなぞらえて、

生態系にとっての遺伝子に相当する存在を示唆し

遺伝子(Gene)とギリシャ語の「模倣されるもの(Memene)」を掛け合わせて、「ミーム(Meme)」

という造語が作られたようだ。

要するに、それは「生物の遺伝子」と対比して「文化の遺伝子」という概念として作られた言葉なのだ。

そのミームという考え方に興味をもった。

たとえば、神社仏閣でのお参りという習慣は、ミームの一種で、

日本古来の風習で、模倣される力が強いミームだということ。

模倣される力が強ければ、それは「常識」となっていき、

多数の人間で共有されるようになった常識は、「文化」と呼ばれることになる。

人間は模倣の上手な種であり、

思想、哲学、科学、宗教、信念、芸術、各種文化を

人から人へ伝ええいく。

それを媒介している情報が「ミーム」。

つまり、人間を人間たらしめているのは複数のミームなのだ。

自己は都合のいいミームは受け入れ、都合の悪いミームは拒絶する。

複数のミームがより自己(私)を強化していく。

複数のミームから、心、信念が形成され、

自らを成長させ、場合によっては、自らを殺しもする。


そのうち、思想、宗教、イデオロギー、芸術、という文化的遺伝子を継続する為に

器としての自己(脳、体も含め)が存在しているような錯覚に陥る。


でも、ミーム論では、まさにそう言っているのだ。

それは、奇跡的に生をうけた存在としては、あまりにも切ない考え方だ。


そのような、ミームの支配からの逸脱こそが、人間の存在としての幸せを


得る方法ではないかとも思える。


その考えは、

瞑想における、自分の中にあるマインドを観照することによって得られる

悟りや涅槃の考えと類似する。

そういう意味では、合気道もクラニオセイクラル・バイオダイナミクスもミームだということだ。


そのミームは僕自身を強化もし、そのミームを伝搬させるために


僕自身を殺してでもその普及伝搬に努めることをするかもしれない。

しかし、それを逸脱することが、幸せだという矛盾にもぶち当たることになる。


Youtubeでミームについて学者が講演している動画を発見した。


その中に、蟻が無意味に植物の葉の頂上へ向かう動機として、脳を寄生虫に


支配されているということを例えにしてミームを解説している。


とても面白い。

↓↓↓
http://www.youtube.com/watch?v=_LKXLhetYsI


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