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2012年5月21日 (月)

表面的なことに誤魔化されてはいけない。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスというワークにどっぷりつかり、
最近、当たり前だと思っていることが、今思うと、最初のころは
頭では理解するのに混乱してなかなか受け入れるのに時間がかかったことを
思い出す。


最近セミナーのアシスタントをさせてもらっている状況で、
勉強をしているメンバーの人たちと食事をした。


皆さん、さすがにこのワークを習いに来るだけあって、
今までにも様々なワークを習ってらっしゃる。


リコネクション、クァンタム、シータ、レイキ、、、
エネルギーワークのオンパレード、
僕自身はそういうワークを習ったことがないので、いろいろ質問をしたり、
違いなどを軽く聞いてみたりした。

みんなちょっとずつ違う。背景とする思想が違ったり、
宗教観が違ったり、、、、

コアなところが同じなのかちがうのか、、でも、そんなところまではわからない。。


以前、オステオパシーの有名な先生が日本きて講演したとき、
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスはエネルギーワークではない。。
と言っていたらしい。(真偽はわからない。)


でも、うちの大阪の女性の先生は、エネルギーで生かされている人間をワークする
クラニオセイクラル・バイオダイナミクスがエネルギーワークでないわけがないと言っていた。
(記憶違いかもしれない。)


つまり、その手技の教える場では一言もエネルギーの概念を教えなくても、
整体でも、鍼灸でも、マッサージでも、指圧でも、カウンセリングでも、
もっと拡大解釈すると、人間関係、会社、社会などシステムが働くところの場は全て、
ベースはエネルギーが働き、そこからのアプローチが有効なのだ。

ただ、思想や文化の違いで、アプローチが違うだけ。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、オリジナルがオステオパシーという医学
なので、解剖や骨や膜などの概念も多く含まれる。
しかし、中核にあるものは、ブレス・オブ・ライフという生命観や、ポーテンシーという
生命エネルギー的表現もあり、現代教育を真面目に受けてきた人たちに
とっては、自家中毒を起こしかねない理屈になっている。


そこで、何かエネルギー的な意図的テクニックを教わるのかというとそういうことではない。
ある質感を感じることを教わるのだ。
教わるというよりも、その場を体験するということになる。
それが再三お伝えしている瞑想的な質感なのだ。


そして、そのことが僕にとっては全てなのだ。


世界には、考え方の数だけ技(エネルギーワークや心理テクニックも含めて)が存在する。
感じ方も様々なので、同じ名前の技でも、やる人によってその質は変わっていく。


様々な問題に対して、何を信じて、何を目標にして、勉強、習得していけばいいのか。。


或人は、世の中で評価される魅力的な手技をより多く手に入れるようにするかもしれない。

新しい思想を習いに行くかもしれない。

でも、そのやり方はキリがない、千の問題に対して、千の技が必要になる。

その人は常に自分に満足が出来ず、焦りの感情を持つことになる。

それは、合気道などの武道や格闘技にもいえることなのだ。


今言えることは、

瞑想的な質感のもと、一元を探求する、、ということだけだ。

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