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2012年3月

2012年3月27日 (火)

産業カウンセリング


この名前を聞いて、すこし堅苦しい感じがするかも知れない。

しかし、やっていることは、限りなく純粋に

カールロジャースの来談者中心主義の技法を学んでいく。

ひたすら傾聴の技法を訓練していくのだ。

ちょっと、来談者中心療法をググってみると。


カウンセラー側の知識の量や権威は不必要とされ、

それよりも、カウンセラーの態度、

すなわち、①無条件の肯定的関心、②共感的理解、③自己一致をどう実現するか

が重視される。

カウンセラーの態度条件を満たすためには、

カウンセラー自身の自己実現が求められる事となる。

さらに、後期のロジャーズや現在のロジャーズ派においては、

プレゼンス(人がそこにいる事)という概念が重視されるようになった。

とうことだ。

つまり、カウンセラー自体が、人間の性善を限りなく信じ、自分を見つめ、自分を信じ、

クライアントの成長力、治癒力を信る、、そういう思想を染み込ませないといけないのだ。


とても理解出来る。


なぜなら、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスも全く同じだからだ。

きっと、様々な心理療法があるが、切り口が違うだけで基本は同じなのだろう。

それぞれのシキタリ、価値観のもとクライアントへの介入の度合いが違うだけなのだ。

ちなみに、

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、ほとんど何もしない。

相手への敬意の念をもって、

ただ、手を添えているだけ、ただリズムを感じているだけ。

そして、最低限の意図以外は、ほとんど頭の中を空にして、

リズムを感じているだけで、クライアントにある種、改善が現れる。

アンバランスなリズム、カオス(混沌)の状態から、

スティルネス(静寂)を経由して整ったリズムが現れる。


カウンセリングでは、当然ながら相手の体に触れない。

言葉の応答のみでクライアントの変容、成長を促す。

間違いなく、口先だけでの応対や、心ここにあらずの状態では、

そこには至らない。

言葉だけでなく、雰囲気を察する能力はとても重要な要素となる。

クライアントがとても感情的な言葉、雰囲気を出していた状態から、

沈黙を経由して自己洞察が現れる場合が多くある。


やっぱり、どこか似ている。


2012年3月20日 (火)

クラニオセイクラル・バイオダイナミクス 練習会②

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの練習会に、また行ってきた。

内容としては、

自分の課題を出して、それを克服する、、ということをした。


大体みんな、頭蓋のホールドが苦手みたいだ。

当然、僕も同じ。


なぜなら、バイオキネティクとちがい、

ボールドをしながら頭蓋骨に意図を送らないこと、、が必要だから。

ホールドしようとして、ホールドする意図が邪魔になる。

リズムを感じながら、リズムを探らない。


ということで、サザーランドホールドを参加メンバー7人で次々と

頭を触る。

みんな様々な癖がある。

上手にしようとすればするほど緊張する。

プラクティショナー同士だから、指摘も細かい。

いろいろやったのだが、

自分自身での結論は、赤ちゃんの頭を触るように

慈しみの気持ちをもって触るといことだった。


どこの指をこう触る、ここに当てる、もっと手を広げる、インテンションを向けない、、

指一本一本を自由にリラックスさせて、、、なんて、

考えれば考えるほど逆効果、、どんどん緊張してしまう。。


思ったことがある、


合気道と同じだ。

教えの中に、”開き”という言葉がある。

それは、相対する敵に対して、受け入れるというか、心を開くというか、、

ヤラれてもいいとおもう。

そういう心境になることによって、敵対する相手がいる環境でニュートラルになれる、、

リラックスできる、、ということなのだ。

そして、そのほうがうまく技がかかる。

そのときの雰囲気のことを”春風ほのぼの、、、”と表現している。

戦いの中において、朗らかな心境でいることを教えている。


さて、クラニオの話にもどって、、


次に、SBJ(蝶後頭軟骨結合)のモビリティーの知覚。

サザーランドフォルクラムを意識し、大脳鎌、小脳テントなどの膜の歪みを

感じるようにする。

感じるように努力する。。

それを目標にして、うやむやにしないで、やり続け無ければならない。


気持ちいいので、ふわーーーとやって、

そのまま終わってばかりいると、何の気づきも現れない。


変性意識の中にあって、ちゃんとした、冷静な観察者がいなければいけない。

そういう覚醒者が自分の中にいなくてはいけない。


練習会がおわって、ある目的のために、


先生と参加メンバーとキネイオロジーを教える先生のところに行ってきた。


そしてキネシオロジーなるものを見せてもらった。


とても、法則的で、テクニック的に見えた。


その場で見せてくれたものは、


参加メンバーのある女性の悩みを結構短時間で


音叉や、筋肉(経絡)の操作で緩和させていくそいうテクニックだった。


すばらしい、、、とても的確だ。効果もあったようだ。


でも、軽く、薄く、表面的に感じたのは僕だけっだだろうか。


そこにいたメンバーはみなそう感じたに違いない。


人が悩みを克服するには、ある程度プロセスがあり、

受け入れるための変容と成長が必然である。


前と後ではその人自体がガラッと変わっているはずだ。

悩みが、病が、大きければ大きいほど、

大きく変容、成長しなければならないから、

大きく変わる。


人生観も変わるので、生き方も変わる。


うつ病のサラリーマンが、薬でなにも無かったように、

第一線の職場にもどり、またうつ病に戻ってしまうパターンが

多いのはそういうことなのだ。

本当に治ったときは、変容、成長しているので、

価値観がかわり、


例えば、会社を辞めて農業に目覚めるくらいなことになるハズだ。


クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは

おそらく、こういうプロセスを生む。

今日も有意義な練習会だった。


2012年3月15日 (木)

木村雅彦はなぜ力道山を殺さなかったのか

この本の題名から、始終プロレスと柔道の話だけなのかと思っていたのと、

とても分厚い(700ページ)のでなかなか手が出なかったのだが、

合気道の仲間が貸してくれたので、読み始め2週間くらいかけてやっと読み終わりました。


歴史のいち側面を推し量ることのできるとても読み応えのある内容でした。


とても面白かったです。


電車の中刷りで書いてあったように、異例の売れ方をした理由がわかります。


いくつか気になったところがあります。

ランダムにあげてみると、、


1、柔道は高専、武徳会、講道館の三つ流れがあったこと。

2、プロレスはストーリが最初から決められているということ。

3、嘉納治五郎は現在に至る柔道の形を望んでいなかったこと。

4、プロレスの興行には確実にヤクザが絡んでいること。

5、木村雅彦が本当に強い人だったということ。

6、大山倍達と木村雅彦との関係性。

7、極真空手の成り立ち。

8、海外での柔術、柔道の展開

9、柔道と合気道の関係。

細かいことをあげるときりが無い。


空手バカ一代の内容も、アントニオ猪木率いる新日本プロレスも、

ウィリーウィリアムス選や、モハメドアリ選も総て

現実と虚構のツギハギだったのだと理解した。

でも、とにかく、この本では木村雅彦がとてつもなく、強かったということが

言いたいようだ。

よくよく、考えてみた。

やはり、強さとは虚構なのだ。


明確に勝負の付く、競技に於いてさえ、

条件が変わると、上下逆転する。

木村雅彦は柔道という条件付き競技の中で、

限りなく強さを追及していく。


そして更に、講道館だけでなく、高専柔道、武徳会柔道、ボクシング、

空手を習い、よりその強さを極めて行く。

現代の総合格闘技の選手のようだ。


でも、先ほど書いたように、強さというのは虚構だから、

いくら追い求めても、満足のいく境地には至らない。

そして、プロレスで、力道山戦では、

虚構と現実の兼ね合いが推し量れず、力道山に敗れてしまう。

合気道は強さという虚構を求めるのではなく、

真理を求めなければならない。

そうでないと意味がない。


真理を求める合気道としては、

成新会合気道がうってつけなのだ。

保証する。

2012年3月 8日 (木)

正しく認識し、理解する。(クラニオセイクラル・バイオダイナミクス)

現在、こんなにも科学が発達し、様々な法則が解明されている中、

どうしても正しく認識、理解されることなく、

歪曲されている事がらが多くある。


ひょっとしたら、情報が溢れているインターネットの時代は

さらに深刻になっていくかもしれない。


そういう、正しい認識、理解を、自分の基準にしていくように

教育されていくべきだし、自分自身も勉強していくべきだ。


そして、本来学校教育はそのための基盤となるだけで

いいのではないか、、


本当は、受験テクニックなど身につける必要は全くないのだ。


「ティク・ナット・ハン」というベトナムの仏教者の本で下記の様なことが書いてあった。


正しい認識・理解が愛を促すという。


「愛」などという口はばったい感じがするが、下記の例えで意味がわかる。


ある男の子が、朝、目を覚まして遅くなっていることに気づき、あわてて妹を起こす。

妹は機嫌が悪く、「うるさい。やめて!」と言って兄を蹴る。

当然彼も「親切に起こしてやっているのに」と怒る。

母親に言いつけにいくか、蹴り返そうとする。しかし、

その時彼は、妹が夜中にひどく咳をしていたことを思いだし、

彼女が病気らしいことに気づく。「風邪をひいているに違いない。

だから、わがままなのだろう」と。

この瞬間、彼はもう怒っていない。理解し、目覚めている。


別のたとえ話もある、、

サーカスで、父の額の上に長い竿を立てて、娘がそのてっぺんまで登る演技をする父と娘の話。

うまく演技をするために、父が、「二人は互いの面倒を見なければならない。」と言うのに対し、

娘は、「二人が、それぞれ、自分の面倒を見なければならない」と言う。

「演技の最中、お父さんは、自分の面倒だけを見て下さい。

お父さんが、油断せず、安定していれば、私が助かります。竿に登るとき、私が注意して、

自分の面倒を見れば、間違いを起こしません。」

つまり、

私の安らかさは、私の幸せは、あなたに、大いに依存しています。

あなたの安らかさ、あなたの幸せは、私に依存しています。

私は、あなたに対して責任があり、あなたは私に対して責任があります。。。。

というのは間違いで、

人のことをとやかく言うよりも、

まず「私がみずからの面倒を見、あなたがみずからの面倒を見ることが必要」なのだ。

そして、互いの役に立つ。

こういう認識・理解の仕方が正しいということを言っているのだ。

そして、その正しい理解のほうが、正常なる親子の愛を促すと。

このように、正しく認識・理解するということは、

深く物事を見て、洞察的でなくてはならないと言っている。


無暗にわがままなだけな妹というストーリーに振り回されるのではなく、

うまく演技するためのお互いの依存的親子関係に注力するよりも、


その瞬間の自分のことだけにフォーカスする。


今ここにおいて、洞察的理解のもと行動をおこない、その責任をもつ、

それがお互いにいい影響を与える。。。ということなのだ。


仏教でいう ”縁起” のわかりやすい説明となっている。

お釈迦様は、「神がいる、いない」とか、あるいは「前世、死後が在る、ない」とか、

どうでもよかったに違いない、むしろ否定していたと聞く。


人間といういずれ消滅する個体のなかで、うごめく苦悩を如何に解消するかという

実践哲学を説いた人なのだ。


チベットや、中国を経由して、たどり着いた仏教の内容があまりにも違っていることに


また、昨今 前世を説き、お祓いをしている人たちをみて、


お釈迦様はビックリするに違いない。


スピリチュアルであっても、オカルトであってはいけない。


クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの場合でも同じだと考えます。


瞬間、瞬間におこる事実だけを拾ってあげる。


かってな思い込みや、ストーリーを着色すべきではない。


また、そういうものに惑わされない。


正しく認識し、理解するべきである。


そうでないと、ただしい愛(関係性)は育まれない。

2012年3月 6日 (火)

その問題は問題でない。(クラニオセイクラル・バイオダイナミクス)

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスのセミナーのアシスタントをさせてもらった。

とても、良い経験になりました。


許されるかぎり、定期的に参加させていただきたいと思いました。


その、根源的な、深遠なるワークのセミナーは

大阪の女性たる先生が、

そちら側に感度が増すように、導いてくれる。

そういうフィールド(場)を作ってくれる。

手っ取り早くいうと、そういう雰囲気をつくってくれるのだ。

始めて、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスという

いままで、聞いたこともない未知なるワークの

しかも、1分間に8~14周期のリズム(CRI)や、2.5周期のリズム(ミッドタイド)や、

ましてや、1周期100秒のリズム(ロングタイド) をたった4日間で、

感じさせるという偉業を成し遂げる。

それには、リードする人が確信を持っていないと、

それがあると信じ切っていないと出来ない。

いままでの、日本の教育の中で、

いやいや、世界の中で、

今後も アカデミックな学問としては決して

教えられることがないかもしれないそのリズム、、、をだ。

この期間で、いくつか考えたことがある。

当然ながら、3つのリズムがあるという確信のもとに、、


誤解を恐れず書きだすと、、


リズムを感じるのは、主観的である、、ということである。

実は、当たり前の話なのだ。

長く説明すると面倒なので、乱暴な例えをいうと、

同じ痛みであっても、人によっては、痛みの感じ方が違うということと同じなのだ。

だから、リズムの感じ方としては、質も微妙に違うはずだし、

百人百様のハズだ。


また、リズムの話だから、あり得るのだと思うのだが、

こちら側にもリズムを持っているので、当然ながら、そのリズムが

影響し合わないわけがない。

ふつう、リズムとリズム、波動と波動が合わさると、

物理学的には、おそらく、光のハレーションや、水面の波紋がぶつかったような

現象もあると考えられる。

そういう中で、その3つのリズムをその人なりにチューニングしていく。

結論としては、

自分の中で感得し、自分の中で確信するしかない。

自分にしかわからないことなのだ。

逆にいうと、リードする人は、

そういう物があるということを伝え、

そういう場を作ることしか出来ないのだ。


まるで、瞑想のようだ。


だから、その大阪の女性たる先生は、

セミナーで瞑想を教える。そして勧める。


世の中には、もっとテクニックに特化して教えるセミナーもあるらしいが、

僕自身としては、ここで習って本当に良かったと思う。


まして想像するに、、たぶんバイオキネティック的な教えは、性に合わないと思う。

さて、やっとタイトルに関わる本題。。


今回、始めてこのワークに触れた4名の方は、

当然、なんとか理解しようと感じようと精いっぱいに努力する。

かつて、僕もそうだった。

わかったような、わからないような。

周りの感度のいい人がうらやましい。

感じられない自分がもどかしいし、焦る。

自信をなくす人もいるかもしれない。


わざわざ、遠い所から、高いお金を払って来てるし、

いままでの人生で、そつなく習い事はこなしてきたのに、

このグループでは駄目出しをくらう。


駄目な自分を認めなくてはならない。


でも、習う身なので謙虚に考える。

いつかわかる時が来ると、、、


ここで、宣言しましょう。


でも、大丈夫なんとかなる。


なぜなら、それは本来、全ての人間に

備わった能力だと思うからだ。


もっというと、宇宙の法則なのだからだ。

宇宙の法則にしたがって、我々は生をうけ、存在しているからだ。


それが証拠に、明確にリズムを感じていなくたって、

受けてるこちらは、遜色なく気持ちいい。

むしろ、それを邪魔するものを、


エゴを無くする作業をするという考え方なのだ。


先生はエゴをクリスタル化するという表現をしていた。


リズムを感じることが出来ないことを問題にするのではなく、


それを通して、自分を知ることのほうが大切なのだ。


うまく自分を丸めむのではなく、自分に正直になる。


本当は気づいているのに、気づけていない自分に気づけるように。


そこでは、余計な考えや、アドバイスは不要だ。


単純に、リラックスして、受け入れて、待つのみ。


緊張があれば、それだけの指摘をうける。


そういう雰囲気の場なので、

いつもより、感度があがるかもしれない。

エゴが出るかもしれない。緊張もするかも知れない。

でも、これまた大丈夫。


そういう場だからこそ、


果敢に挑戦し、むしろさらけ出して、


フィードバックを受けた方がいい。


より、自分が浮き彫りになるからだ。

ちなみに、僕は、またしても駄目だしをもらいました。


あー、情けない。


ひょっとしたら、一生直らないかもしれない。。


でも、大丈夫なんとかなる。(根拠のない自信)


それでも、クライアントにセッションを続けている。


とても、良かったと言って、リピータにもなってくれる。


考え方としては、合気道も同じです。


稽古ではそうそう達成感のある技など使えない。


むしろ、失敗ばかりを繰り返す。


そして、失望しながら家路へと変える。


そして、普段、日常生活の中で、繰り返し頭に思い描きながら、


勇んで稽古の場へと行く、でもまた、うまくいかず、失望して家路へと。。


そうやって、薄紙を剥がすように上達していく、、


きっと、そういうもんだと自分に言い聞かせる今日この頃です。

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