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2012年1月

2012年1月30日 (月)

正しいと思っていたことが間違っていたなんて事がある。第2弾


とあるメールマガジンで、下記3つの映像が流れてきた。

先ずは、見てください。


↓↓↓ (インフルエンザについて)

http://www.youtube.com/watch?v=AF0zqbTIPo0&feature=player_embedded#!

↓↓↓(癌治療について)

http://www.youtube.com/watch?v=FEEAcSQ8qCs&feature=player_embedded

↓↓↓(現代精神医療について)

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=UdshHpmrvYY

これを見た後、嫌な気持ちになるなるだろう。

それは、今まで正しいと思っていたことの価値観を揺さぶるからに違いない。


無知ではいけないということなのだ。

社会システムに組み込まれた正しいといわれることに、

疑いもなく巻き込まれてはいけない、ということなのだ。


それは、インフルエンザを避けるために違う方法を見つけるということではない。

癌を克服する、有益な抗がん剤をつくるということでもない。

違うタイプの精神薬を開発することでもない。


無知でないということは、

さまざまな困難に対して、外側の物に依存することではない。

内側の力を信じて、外側の安心を手に入れることをしないということを決意することだ。

そして、その決意は、自身を強くする。


成新会合気道と、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、

まさにそのことを教える。


カテゴリをどっちにするか迷うむすびです。

最近合気道ばかりだったので、

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスにしときます。


2012年1月13日 (金)

無対立の考察②


前回からの引き続き、、、

では、意識的に無対立にするように努めれば、

つまり、相手をやっつけようとしないように意識を

働かさなければ、即解決か、、というと、そんなに簡単ではない。


やってみればわかるのだが、

もう、相手を認識した段階で、無意識に対立している。

ましてや、掴まれたり、打ってこられたりすると、

無対立を心掛けても、体がピクッと硬直する。

表現的には、待ち構えて受けたり、避けたりする。


ということは、今まで習ってやっていたことは全て、

どれだけ柔らかく、速くしても、きれいに受けても、避けても、

それは物理的な違いだけであって、対立しているということなのだ。

無意識の領域にまで無対立を及ぼさなければいけない。。ということ

それが究極の目標なのだ。


その延長で考えると、要するに心の問題ということになる。

これはまさに、昔から禅で言われている”無”の境地ということではないか。


しかし、禅で到達出来る境地でも足らない。


武道的には、

無意識でありながら、自然に体が動くように、

つまり、無意識に攻防出来るように体を練っていく必要がある。

そして、そういう状況を客観的に観ているという認知をもつことも重要だ。

先生は、相手を攻撃しているときは、無意識にしているとおっしゃられる。

でも、そうしている自分を、そういう状況をシッカリ認識されている。


そういうことなのだ。

この無対立は、そういうものだと教えてもらわないと、多分わからない。

過去にこの域に達した人たちは、独自に会得した奇跡的な達人なのだ。

我々凡人には、独力では到底不可能だ。

だから、それを会得するためのシステムが必要となる。

そのひとつが成新会合気道の稽古なのだ。


間違っても、競技やエゴ丸出しの型稽古では到達できない。

先生が、他でやっている武道や格闘技と180度違うものだと

おっしゃる理由が本当によくわかる、、


今日この頃です。


2012年1月12日 (木)

無対立の考察①


文字通り、対立しないということである。

成新会合気道では、これを強調して教わる。

どういうことかというと、


相手をやっつけようとしない、、ということである。

矛盾している。

殴りかかったり、掴みかかったりする動作をしているのに


相手をやっつけようとしないと教えるのだ。


単純に考えると、ダブルバインド(二重拘束)状態となる。


そういう意味で頭は硬直し、体はいつも通りの対立的動きをする。


そして、更にぎこちない動きとなってしまう。


唯一の心の支えは、それを実際にやってくれる先生の存在だ。


その実演がなければ、言葉だけの絵空事となってしまう。


出来なければ、なかなか人には説明しづらいし、教えられない。


なかには独自に解釈して、おかしな技を使い始める人たちもいる。


でも、自分としては出来るだけ素直に、忠実に、教えをうけ、解釈し、会得したい。

しかし、またそれが難しい。

エゴが邪魔をする。


耳元で、

「こんなこと嘘に決まっている。」 

「できるわけない。」

「空手の様な打撃には無力だ。」


などとささやく。

それには、そのような思考がでてくる理由を掘り下げてみる必要が出てくる。


自分と向き合っていく姿勢が必要となるのだ。


それは非常に勇気のいる、忍耐を求められる作業となる。

まず、自分の全てをさらけ出さなければならない。


次に、他人からの指摘を素直に受け入れなければならない。


そして、自分の欠点に気づき、誤魔化さず受け入れなければならない。


カウセリングなどの自己受容、自己洞察、そして変容、成長


というプロセスと全く同じなのだ。


さて、無対立の矛盾に話をもどすと、、、、、


先生の受けをとっていて、いくつか分かってくることがある。


それは、接触するまえにすでに崩される状況になっているということ。


こちらの対立的行為にたいして、アレ?!となる状況を発生させ、


その後、処理作業としての投げ、当身。

そこには無対立に対する矛盾は全く感じられない。


本当に素晴らしい。


合気道のピュアな部分がそのまま受け継がれている。


大手合気道の団体では多分お目にかかれないだろう。

早くマスターして、もっと世に広めたいものだ。

でも、そういう欲望が会得の邪魔してるのかも。。とも


考えてしまう今日この頃です。

↓↓↓(無対立)

http://www.youtube.com/watch?v=5G1th9Ldrfc&feature=related

2012年1月 5日 (木)

初詣

きょう、会社の恒例行事として、神田明神に初詣に

行ってきました。

以下、少し感じたこと。

以前もある本に共感して、書いたことだが、

人間は”今ここ”の現実に対してだけでなく、

過去や未来などの仮想空間に対しても、

生理的なホメオタシスを働かせる。

過去の起こった、現在ではどうしようもないことに対して思い悩み、

未来に起こるか起こらないかわからないことに対して不安に思う。


そういう仮想空間と”今ここ”の現実とがゴッチャになっている。


そして、何も起こっていない”今ここ” において、

後悔と不安に苛まれ、胃を痛くし、下痢をする。


そして、仮想空間の不幸の対策として、神社仏閣まで建てている。


それも1つや2つではなく、全国津々浦々、無数に建てられている。


まさに、人間が仮想空間と現実を混同している何よりの証拠だ。


こんなに、科学が発達しているのに、


そして、かなりな高等教育を受けている人たちまでが


初詣に行き、お賽銭をいれ、おみくじを引いて、高いお金を出して


熊手や破魔矢を買う。そして厄年のお祓いなんかもしてもらっている。


明らかに、何らかのシステムにマインドコントロールされている。


それぞれの宗教の歴史を少し調べればすぐわかることなのだ。

神社における、厄年のお祓い自体、

中国の陰陽五行説がオリジナルで、日本版アレンジで陰陽道となり、元々の神道とは

全く違う思想を融合させた都合のいいビジネスシステムなのだ。


仏教においても、

本来お釈迦様が、輪廻転生を否定することで成り立った哲学なのに、

チベットを経て、中国を経て、日本に到達し、幽霊の存在を認め

お祓いをし、天国へ成仏させるという、お釈迦様本人が聞いたら

腰を抜かすような別物となっている。


ひょっとすると、全てにおいてそうなのかもしれない。

本来突き詰めて考えていくとおかしいと思うようなことを

文化ということばでアヤフヤにしているのではないか。

犬や猫にはない能力は文化を発展させるが、

場合によっては、自ら問題をつくり自ら解決させる。

つまり自作自演する。。。まさに仮想空間をつくる。

武道や格闘技でも、

思い込みで、型などで技を覚えている。

その形が正しいとマインドコントロールをされている。

それは、それぞれの武道、格闘技がそれぞれの文化を持っているということなのだ。

例えていうと、つまり、異種格闘技戦は異文化交流ということだ。

型の中で、攻撃に対し身を固め受け止める形があるとすると

それが是非もなく、全てだと思ってしまう。

また、根性で殴り合うのが強さ養うのに一番良い稽古システムだと思ってしまっている。


トラやライオンは強くなるために、型の練習もしないし、

殴り合いの稽古もしない。

最初から強いものは強いのだ。


成新会合気道は全く違う考え方を学ぶ。

それは、いままでマインドコントロールされてきたことを白紙に戻す作業だ。

それはまた、普遍的な真理を見据える作業とも一致する。

そういう理由からなのか、

最近、やたら目につく辻褄の合わない事柄に対して、異議申し立てをしたくなる。

そういう考え自体も、一種の洗脳なのかもしれない。

でも、こういう考え方を知ってしまった以上、

片足を踏み入れてしまった以上、

もう後戻りはできない。進むしかない。


そう思う今日この頃です。


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