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2011年11月

2011年11月30日 (水)

整体

昔からとても体を整えることに興味がありました。


本当に、様々なテクニックがあります。


どの整体が正当なのか、、、

どの整体がより有効なのか、、、

一番最初に教えを乞うたのは、

あらき先生という方でした。


↓↓↓↓↓
http://homepage3.nifty.com/teate/


元々大手会社でマーケティングをやられていたということで、

僕にとってとても魅力的なHPの表題だったということと、

会いに行った時の印象が

整体の大先生というよりも、

自分に正直に生きてらっしゃる先輩という感じで、


即、教えてもらおうと決断しました。

わかったことは、

本当にいろんな理屈があり、

その数だけ、整体の数は存在する。


サラリーマンをしながら、ダンスを続けられていて、

整体に興味があり、勉強されて整体師に転身されたという。

そしていまだに、勉強を続けられいる。

ご自身で効果のあると思われる手技を、

丁寧に教えてもらました。

とても、触発されました。


行かなくなって、5、6年の月日が経ちました。

先生の影響で、

それ以来、ずっと勉強し続けてます。

今は、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを

継続しながら、カウンセリングを勉強しています。


そして一方、

先生がダンスをいまだに続けてらっしゃること同じように

僕は、合気道を続けているし、より深みにハマっている。


違うのは、先生は整体で生計をたててらっしゃるということ。


ぼくは、いまだサラリーマンに甘んじている。

おそらく先生との出会いの場がなければ、

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスもやってないし

より合気道の深みにハマることもなかった。

先生からしてみれば ??? だろう。

でもそうなのだ。

毎日先生のブログを読んでます。


近いのに、遠い存在です。

感謝しております。


何かのタイミングで、ご挨拶に行きたいと考えてます。


2011年11月29日 (火)

変性意識

これが、僕にとってのキーワードだ。

合気道にせよ、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスにせよ、

同様の課題なのだ。

この変性意識によって、いかに自分の仮想空間をつくりだして、

言いかえれば自分自身を洗脳させて、

奥儀をもしくはサトリを得るのかということなのだ。

変性意識とは、仮想空間の臨場感が高い状態であると

どこかで書いてあった。 

そして、仮想空間の出来事としての内部表現化が、

臨場感を持たせることとなり、

現実に周りにいる人たちの身体状態の内部表現に直結するとも。


むずかしい。。


それはおそらく、その仮想空間での想いなどが、現実世界にまで影響を及ぼすということなのだ。


仏教でもそのことを説いているという。

成新会合気道の極意の腰回しや、


クラニオセイクラル・バイオダイナミクスのブレスオブライフや、


ミッドタイドやロングタイドの概念はまさにこのことだと思う。

そして、そのレベルの変性意識の状態を「サトリ」というのではないか。。

いきなりこのところを読んだ人は、意味不明だろう。

ひょっとしたら、気が触れた人だと思うかもしれない。

でも、

成新会合気道に触れてみれば、

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスを経験してみれば、

または、「Who Is In」などの瞑想ワークに参加しれみれば、


きっとわかる。

2011年11月25日 (金)

円乱捕り

成新会合気道にある稽古方法である。

マスボクシングの様なものである。

ちなみに、乱捕りとは、ボクシングでいうスパーリングである。


相手を打ち負かすための、乱捕りではなく、

相手の打とうとする気持ちや、間合いを感じながら、

もっと言うと、氣の流れなども感じながら、、


フルスピードではやり合わない。。

http://www.youtube.com/watch?NR=1&v=9dgujo-b53g
http://www.youtube.com/watch?v=D1Wv1jHlAXw&feature=related

決して、やらせではなく、、、感じる稽古なのです。

それは、取りも受けもも同様です。

たとえば、感じることとしては、

相手を攻めているのに、ハズされて攻められない感覚。

相手との衝突を目的とするのではなく、すれ違いや和合の感覚。

中心軸、シモク足、リキんでないか、、、の感覚。

腰回しの受けの感覚。

やっていて、なんかとても気持ちいい。


これをこなしていくと、大手合気道の型稽古の力技なんかは

受けたく無くなってくるし、かからなくなってしまう。


もう大手合気道のほう辞めようかななんて考える今日この頃です。


2011年11月17日 (木)

統合失調症

先週の日曜日の夜のテレビにゲストとして玉置浩二(安全地帯)がゲストに

出ていた。

一連のテレビでの騒動で、世間の印象も悪いようだし、

僕自身もそうだった。

昔の「ワインレッドの心」などの懐かしい曲を思い出して、

Youtubeで検索したところ、当然ながら沢山の動画と音源が

投稿されていた。


何気なく一発目に「メロディー」という楽曲をクリックしたところ、


">


あまりにもの歌唱力に聞き入ってしまった。

そして不覚にも涙腺が、、(僕にとって、そうそう無いことだ。)

こんな良い曲を作れて、演奏出来て、歌える人が、

なぜ、あんな奇行とも思えることをしてしまうのだろうか。。

また、テレビの偏った報道のなせるワザかと思ったが、

少しググってみると、どうも統合失調症で苦しんでらっしゃる(た?)という

ではないか。。


その統合失調症を、

Wikipediaで調べてみると、器質的なものから、心理社会的要因に至るまで

原因は様々で、それぞれの要因が多重に折り重なりさまざまな病的な表現を

してしまうらしいのだ。とてもわかりづらい。


興味深いのは、心理社会的要因として、母親からのダブルバインドを

強いられる環境も考えられるということだ。

ダブルバインド的環境とは

たとえば、やさしい母親が自分のところに呼び寄せた途端突き倒すというような、、

子供としては非常に思考が混乱してしまう環境のこと。

しかし、そういう矛盾を強いられる環境にいても、それをバネに強化される人もいれば、

それに耐えられず傷ついてしまう繊細な人もいるということなのだ。


つまり、玉置浩二というひとは、とてつもなく繊細で、とろけるほどやさしい、、

間違いなく、歌に滲み出ている。

しかし、反面、180°違う表現をする時もあったと聞く。(某女優に対する暴力の話しなど。)


まさに、そういうことだったのだろう。

おそらく自分を統制出来ず、苦しかったに違いない。


合気道の稽古においても、先ほどのダブルバインド下におかれた子供のように

思考の混乱を起こす場面が多々存在する。


一番最初に一元塾で成田先生に教えてもらった時のことを思い出す。

触った途端に、いや触る前から崩される現象について、質問をしたときに、


”腰を廻せ”ば出来るとおっしゃった。


そして、それはどう腰を回すなのか、、と問うたところ、

”想い”で回すのだ。。と再度説明された。。

そして、再三、 「受けて立って、腰が回れば、入り身の真」 とおっしゃる。

今になってみると極意の説明なのだが、、、

チンプンカンプンとはこういう時に使うのだと思うほど意味不明だった。

頭の上に沢山の????が出来ていただろう。


今までの力と角度とタイミングだけの技で通用せず、

かといって、頭が混乱した状態で、心と体がバラバラな状態でなお通用せず稽古する。


闇雲に3年の月日が経ってしまった。


成新会合気道では、座学の時間もあり少しは理解できるようになった。


それにつれてまた、この合気道の深さが尚わかってきた。

遠くに光明があるが、自分の周りはまだ真っ暗闇だ。

その小さな光にむかって、辛うじて歩いて行くしか手立てはない。

辿り着けるかどうかは、それを信じるしかない。

おそらく、合気道だけでなく、他の武道なんかも、

たくさんの人が、続けられずに辞めていく原因は、

それ自体の身体的な厳しさなんかに負けるからではなく、

そういう精神的なダブルバインド状態で、なお本質的なもの

を得られると信じることが出来ないから辞めてしまうのだ。


信じる力が必要なのだ。


根拠のない自信、これが大切なのだ。

最後はまた合気道の話になってしまったが、

玉置浩二はもっと表現者として評価されるべきだと思う。

2011年11月10日 (木)

意識的に合気道をする

意識の意味は、1つではない。

ほとんどの人が、混同して多義的な意味を意識というひとつの言葉で表現している。

専門家ですらそうだというのだ。


下記、wikipediaを①~⑧に抜粋、まとめさせてもらった。

①覚醒

起きている、覚醒している、という意味がある(英:vigilance, arousal, awakening, wakefulness など)。これは睡眠、失神、昏睡または死亡、という状態にない、という事を意味する。この意味での用例をあげるとたとえば「柔道で、絞め技をかけられて我慢していたら、意識を失ってしまった」とか「交通事故のあとずっと昏睡状態だった人の意識が、今朝やっと戻った」などがある。この意味での意識は、意識がある、意識がない、といった形で表現される

②気づき

気づいている、または知っている、といった意味がある(英:awareness)。たとえば今あなたがこの文章を室内で呼んでいるとしたら、エアコンの稼動音、パソコンのファンのうなり、冷蔵庫が動く音、蛍光灯の音、窓に吹き付ける風の音、外を通過する車の音等々、何らかの音が常に鳴っていると思われる。しかしそうしたことは恐らく今言われてみて気づいただろうが、それまでは特に考えていなかったと思われる。このようなとき「たしかに色々な音がなっているね。でも今まで特に意識していなかった」などと言う。

③注意

ある物事について十分な関心を払っている、考え方や取り組みかたについて努力が行われている、といったことを表すのに、意識が高い(または低い)、といった言い方をする。(英:attention)


④随意運動

反対の意味では、「不随意運動」、「反射 (生物学)」がある。
 
⑤自己意識

上の意味と似ているが、自分がいるということに気づいていること、または自分がいるということを知っていること、を「意識がある」と表現することがある(英:self-consciousness, self-recognition)。これは自己意識、自意識とも言われる。ヒトは成長の過程で自己の存在に気づくようになるが、これは、自我の芽生え、とも言われる。

⑥メタ認知

自分自身の心的な状態などを把握すること、たとえば「自分は今機嫌が悪い」「自分は今○○をしたいと思っている」といったことを知ることができること、を「意識がある」と表現することがある。このような自己の心的状態についての把握する行為をメタ認知と言われる。

⑦主観的経験、現象的な質、つまりクオリア

意識という言葉のもつも他の意味として主観的な(感覚の)経験、現象的な(感覚的)質で表すときがある。この意味での意識はハッキリと定義することが難しく、ときに「それはただ指すことしかできない」、「直示的に定義することしかできない」ということが言われることもある。例えると「タンスの角に小指をぶつけた人である、とは一体どのようなことか」。もしあなたが同じような経験したことがあるなら何となく分かるだろうが、このような人は、足先に突如訪れた激しい痛み、そしてどこにぶつけていいのか分からないやり場のない怒り、などを経験している。その質感を意識して共有しているのである。

⑧実体としての意識

もうひとつの意味として、意識はしばしば心霊主義的な霊魂の同義語のような形で使われる(英:soul, spirit)。このような用例としてたとえば「意識が肉体から抜け出して幽体離脱(体外離脱)した」といったものが挙げられる。このような考え方、体と独立に心的実体があるという考え方は、哲学の世界では心身二元論、実体二元論などと呼ばれている。


さあ、そこで合気道的に自覚すべき意識とは、、、、

それは、②と⑥と⑦ すなわち心法の稽古である。


③と④と⑤を言う人は、身法の稽古で、


盛んに身体操作のことに注力して、そのうち限界を感じてしまうだろう。


⑧を言う人は、オカルト合気道になってしまう。


合気道は、無意識、潜在意識などの未知の領域のものを、意識層に汲みあげる

作業なのだと思う。


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