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2011年10月

2011年10月18日 (火)

ウリジナル

ハングルで「我々の」という意味の「ウリ」と、起源を表わす「オリジナル」をくっつけた造語だそうだ。

要するに「○○は、我が韓国(朝鮮)が起源だ」とする主張を

どちらかというと揶揄した言葉としてネットに載っていた。


合気道も、韓国が発祥だと主張しているそうだ。ハプキドと発音する。


動画をみれば、打撃の割合がおおく、どちらかというと、空手と合気道を
足して2で割ったように見える。


昔から日本には、様々な文化が朝鮮半島経由で入ってきている。

おそらく、直接中国から直接来たものもあるだろう。

日本土着のものもあったはずだ。


文化だけでなく、人そのものもたくさん移住してきたに違いない。

顔だって、南方系から北方系まで様々だ。

究極的にさかのぼると、現在の人類はアフリカの女性がルーツだというではないか。

だから、そんなに違いがあるはずがない。

日本の中でも、合気道は植芝盛平翁が創始者だということが一般的なのだが、

光輪洞合気道では、大日本武徳会の中で平井稔翁が制定した合気道が

先だということになっている。

そして、その流れで成新会合気道が存在する。

怒られるかもしれないが、もうどっちでもいい。

真理を探究出来るのであれば、どちらでもかまわない。

もし、韓国の合気道に真理を見出せるのであれば、韓国の合気道をやる。

幸いなことにその点に関しては、日本の成新会合気道に分がありそうだ。

仏教なども、経由する地域、携わったひとによってかなり変化熟成していく。

そのかなに、真理が忘れられないでいるのであれば、

それはプロセスが違うだけなので特に問題はないとおもう。

皆が内側の真理のことを、探究すれば、

オリジナルがどうだとか比較競争とかどうでもよくなるのに。。。


現在の教育は、外側の見たての良い、お利口さんを育てようとする。

そして競争するように煽る。


頭の良い人がたくさんいて、そういう人たちが世の中を動かすことになっている。


しかし、これからは損な役回りを買って出る人が必要なのだ。


そういう人を育てる教育をするべきだ。


内側を探究するという方向の教育システムが必要になる。


それにはきっと成新会合気道は一役を買うことができるだろう。

2011年10月17日 (月)

地震予測

今日、朝のニュースで、日本語の上手な外国人大学教授が

過去の地震の分析と傾向はできるが、正確な予測は不可能である

と力説していた。


その証拠に、阪神淡路、新潟、それを踏まえての今年の東北、、、

ちゃんと予知・予測できなかった。

起きるといわれ続けて20年の静岡沖は、未だ起きていない。。

ちょっと、ビックリした。

ウスウス感じてはいたが、その業界の人が、

下手をすると、体制から攻撃をされかねないことを

テレビでぶちまけている。。。

少なくともそう映った。

早速ググってみると、


>地震学のなかでも一部の専門家が政府と結んで、
>地震予知に過大な役割を負わせたことは事実でですが、
>ゲラー東大教授をはじめその傾向に批判的な専門家も
>少なくありませんでした。


という文章が出ていた。 

うーん、また政治。。

また、朝のニュースでは地震予測に関して、累積で3000億円が使われたといっていた。

地震予測は出来ないと結論が出るまでに、それだけかかってしまったのだ。


つくづく、社会の常識は必ずしも正しいとは限らないと思った。


地震とは自然の表現だ。 生き物なのだ。


きっと、地震が起こるタイミングというのは、

プレートの動きだけを見ているだけでは、完全な予測ができないのだ。

もっとたくさんの要素によって、気まぐれに起こるのだ。


競技武道・格闘技に当てはめて考えてみると、

相手の攻撃を予測して受けるということが、それに相当する。

しかし、ボクシングも空手も剣道も、それが出来ているように思える。

ところが、よくよく考えてみると、それぞれの武道が条件付きだから

ということがわかる。


包丁をもって殺そうと攻撃してくる人を

受けるために待っている人などいない。

はなから逃げるか、多少やられることを覚悟して、こちらから攻めるのが得策なのだ。

合気道の型稽古でも同様だ。

相手からの攻撃を受けることから始めるのでは全く意味がない。


常にお互いが攻め合っていることが大前提なのだ。


翻って、地震の話しに戻すと、

お金をかけて、地震予測システムを構築し、

より余裕のある予知のもと、その指摘のあった地域住民だけが対応をとるなんて、

やっぱり、虫のいい話なのだ。

それよりも、皆が地震が起こることを前提として、いつ起こってもいいように

用意しておくという考え方が正しいのだ。 

なぜ今まで気づかなかったのか。。

ゲラー東大教授は地震予知は、出鱈目ですとまで言っていた。

日本列島は、地震が、いつなんどき、どこで起こってもおかしくはない。

それが正解なのだ。

2011年10月14日 (金)

会社のお得意様(40歳半ば)の施術 ⑭

懇意にさせていただいているお得様の施術をさせていただきました。

外資系のその業界の最大手で、管理者ということで悩み多き年頃という感じだ。

当然、悩みの無い人はいないわけで、

間違いなく誰もが、自分の想いと現実とのギャップに苛まれている。

その中にいて、もがき苦しんでいる。

それを克服する方法は、2通りある。

ひとつは、その問題を分析し、ギャップを埋めるように対策して、根性で努力し克服する。

もうひとつは、そのギャップを受け入れること。

兼ね合いだとは思うが、

前者は、その人の能力を発揮するいいチャンスとなり、
克服できれば、達成感もあり、自信にもつながる。
ただ、その人もスーパーマンではないので、能力にも限界があり、
疲労してしまうことも多々ある。
それでも立ち直って再度チャレンジしていく姿を美談で語る周りもいるかもしれない。
そういうファンタジーを思い描き、つぶれてしまうことさえある。


後者は、とても消極的なイメージが強く、世の中で勝ち抜くことを
教えられてきた人にとってはとても屈辱的な感覚が生まれるかもしれない。
でも、世の中にはどうしようもならない事柄もあり、壁にぶち当たったまま
そのことで起こる様々な感情に翻弄されて、エネルギーを費やしてしまう。
それならいっそ、開き直って一切合切受け入れた方が楽になる場合があるという
ことだ。


精神的に疲れている場合、それに従って体も調子がわるくなる。
表情が暗くなり、動作も緩慢になり、思考も鈍ってきてしまう。

本来、どんな状況でも、人は死にいたるまで、自然に治癒する方に向かう。
病から健康へもどるには、その自然治癒を妨げないで、かつ支援するだけでいいのだ。

手段はなんでもいい。


クラニオセイクラル・バイオダイナミクスでは、

一番最初に生命力(ブレスオフライフ)をオブザーブすることを教えられる。


それだけで良いとも教えられる。


その後、付け足しのように様々な知識とテクニックを教えられていく。


私見になるが、知識やテクニックは枝葉末節に思えてしょうがない。


普段、クライアントがないがしろにして、無意識に働かせている生命力
をプラクティショナーがリズムを感じ取ることによって、ただ、敬意をもって
観察(オブザーブ)することによって、リズムが整っていく。

そして、クライアントの中にスペースができるのだ。

恐怖や不安、痛みや苦しみと一緒になってもがき苦しんでいたところに、、だ。

そのスペースはクライアント自身の感情や感覚を冷静にみる余裕を与えてくれる。


すこし、楽になる。

そして、そこから自然治癒のプロセスが加速し始める。

今回の施術後の感想をお聞きすると、
始終フワフワした感覚を感じてらっしゃったようだ。
施術後はスッキリ感も非常にあるという。


私の感想は、全体的にインハレ層が弱く、重たい感じ、
インハレ層の際でスティルネスが起こるように、ブレスオブライフにお願いをしつつ、
胸郭上口、ベッカー、踵、腹腔、仙骨、首、肩という順番に手を当てていった。

今の自分に起こっている問題を、受け入れて、腑に落とされることを、、

そして、覚悟と決断を、、、お祈りしております。


ありがとうございました。


2011年10月12日 (水)

傘寿


”さんじゅ” と読むらしい。

一昨日、親父が80歳になったので、
少しばかりのお祝いをした。

たまに、調子の悪い時もあるようが、
比較的頭も体もシッカリしている。

さすがに、このところ所々ガタがきて、
酒もタバコもすこし、自粛している様子だ。

そんな親父に、
生きているのであれば健康に、
死ぬ時は潔く、コロッとね、、、なんて

息子としての現時点の生死感みたいなものをサラッと言ってみたものの、

よくよく考えてみると、
そんなことは、その段になってみないとわからない。

そんなに遠くない死に対して、
受け入れる心の準備をどのくらいしているのか。
そういう息子の発言をどういう風に受け取っているのだろうか。


死というものは、
受け入れるしか手立てがなく、

いづれ、どの時点かには必ず”覚悟”をしなければならない。

それがすなわち”悟る”ことだということだ。

少なくとも、死ぬ直前には”悟り”のタイミングを
得られるということだ。

だから、死ぬ直前の大切な瞬間を邪魔をしてはいけない。


”禅”や”瞑想”や”武道(合気道)”などは、
より早い段階で”悟り”を得るための手段だということなのだ。


そして、合気道で言えることは、
死をも受け入れる境地は、敵対する相手の攻撃すらも
受け入れ、相手と一体化する境地を得られるということ
なのだ。


恐怖も不安もなく、スッとしていられる。

心身ともに敵対している相手は、敵対することでバランスを
とっているのに、何もない相手に対して、掴みどころがなく、
心身ともに乱れ崩れる。


それが、成新会合気道の究極の目的なのである。


その現れが「腰回し」なのだ。

そういえば、2年ほど前に、成田先生の傘寿をお祝いしたのを
思い出した。

技を限りなく覚え、
身体能力を極限にまで鍛えることによって得られる強さなどいらない。


少しでも、成田先生に近づきたい。

もし、傘寿まで生きられるのであれば、
それより、どれくらい前にその境地に達するかのことかのほうが、
自分にとっては、重要な問題なのである。


2011年10月 6日 (木)

強さ

とある空手と合気道をやっている人のブログがある。

その人のブログを読むと、

自家中毒を起こしているような文章内容になっている。


空手も、合気道にもいろんな流派があるので

一概に言えないが、

その人は、フルコンタクト空手をやっていて、

さらなる強さというファンタジーを求めて、合気道を始めたようだ。

でも、

もしフルコンタクト空手の競技で強くなりたいのであれば、

合気道はしない方がいい。


深掘りするのなら、

システムが違いすぎるので、おそらく混乱してしまう。

中には矛盾した教えもあるに違いない。

表面的なテクニックだけを付け足すつもりなら、おそらく合気道に飽き足らず

今度はそれ以外の武道も習いたくなるだろう。


”強さ”とは何なのだろうか。

フルコンタクト空手の世界チャンピオンも、

K-1の試合では勝てない。

テコンドの世界チャンピオンでもフルコンタクト空手の

試合では勝てない。

相撲の横綱でも、柔道の試合では勝てない。

条件が違うのだ。

つまり、いま皆が見ているありとあらゆる条件付き武道格闘競技は、

ジャンケンみたいなものなのだ。


それを超越した武道・格闘技は総合格闘技なのか、、

はたまたシステマかそれともコマンドサンボなのか。

キリがない。

その延長線上には、果てしない飢餓感と挫折のみが存在する。

”強さ”をもとめるというのはエゴなのだ。

不安、恐怖、焦り、の裏返しなのだ。

不安、恐怖、焦り、などを克服しようとして、”強さ”をもとめたのに、

さらなる不安、恐怖、焦りがでてくる。

そのシステムにいる限り、頂点に行き着いても同様だ。


早く気づくべきだ。

気づいて其々の武道格闘技の条件にとらわれず

謙虚に、自分の中の、不安、恐怖、焦りに向き合う作業をしていくべきだ。


”強さ”について、もっと考えた方がいい。


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