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2011年8月

2011年8月31日 (水)

システムズアプローチ

心理療法の分野に


システムズアプローチ(家族療法)という手法があるらしい。


病を表現している人そのものを悪とせず、

その背景にある家族のメンバーとの関係性(システム)を観ていくということらしい。

その人たちの見解では、個人の無意識に、その家族システムが少なからず影響していて、

そのシステムの観点から個人の病をコントロールしていくという考え方のようだ。

たとえば、登校拒否になっている子供の家族に関していうと、

その子供の心理に働き掛けるというやり方ではなく、

お母さんの育て方が悪いとお母さんを悪者にするわけでもなく、

お父さんが家庭をないがしろにする仕事人間ということでそのお父さんを悪者にするわけでも

なく、浮気をしている夫の肩を持つ姑を悪者にするわけでもない。


現在の硬直した現実、、

ここで言うと登校拒否に陥っている子供の現状の後ろにあるシステムのみに介入していく。

ここで、この介入する人は

元来何年か前にそうであった懐かしき理想の家族に戻ることを目的にするのではないという。

クルクル回って進展しない

先頭と最後尾のつながった蟻の行列の輪を断ち切る作業をするだけなのだという。

その断ち切った後は、おそらく元に戻るというよりも、

以前より、変化(成長)した家族の在り方が現れる。


昔からよく似た方法がある。

除霊する霊媒師なんかがそうだ。

この場合、家族でなく、悪霊が悪者なのだ。

だから、家族全員心を一つにして悪霊退治にエネルギーを注ぐ。

誰も悪くないのだから誰も傷つかないというわけだ。

このシステムズアプローチは、合気道にも深い示唆を与えてくれる。

目に見える攻撃にのみにとらわれている対峙者は

攻撃してくる、手、刀のみの対応に追われることになる。

出来るだけ自分だけ無傷で勝ち残りたいという調子のいい考えを持っている。

その状態では 1対1の戦いではなんとかしのげるかもしれないが、

1対2、1対3の戦いにおいては、立ち行かなくなってしまう。


ではどんな目の見えないシステムを感じ、対応していく必要がるのか、

相手と自分との、緊張、怒り、恐怖、不安、焦りでやり取りする関係性(システム)

を出来るだけ無という心境において、客観的に観る訓練をする。


ガチガチに緊張して居付いた体勢で攻防するのではなく、

全体を見渡すようにスッとした楽な姿勢で、最悪相打ちで殺られることも

覚悟して敵と相対する。


昔の武道の達人は、システムに働きかけるほうが上手くいくということを理解していた。


心理療法や、武道、だけではなく、全てに対して同様に言える。

今の社会にしてもそうだ。

この栄華を支えている社会システムは、英知としての原子力発電を生みだした。

システム的にそれなくしてこの社会は支えるのに難しくなっているのではないか。

ということは、悪いのは目に見える原子力発電でも東電でもない。


おそらくシステム自体を見直さないと駄目なのだ。

家族療法ではないが、もう昔と同質の幸せを期待してはいけない。

変化していくことを、覚悟しなければならない。

生き残ることに関してもっとも必要なのは、そのシステムに

適応できる強さなのではなく、柔軟に違うシステムに移行できる

変化する能力とその覚悟なのだ。

2011年8月25日 (木)

スーパーエゴ


久しぶりに前の会社の後輩にあった。


とても懐かしかった。


当時若かったその人たちも、

今では、それぞれ自分の生活を安定させるよう奮闘努力している。


子供が生まれ間もないヤツもいた。


安定。。。


安定したいのだ。 そうするように教えられてきた。


世のすべての人は自らの心が安らいでいたい。


生まれた時から、この社会で安定する方法を伝授されていく。


お母さんの影響が一番大きいようだが、


お父さん、おじいちゃん、おばあちゃん、先生、学校、会社、社会のシステムからも


かしこく生きるように、より優秀になるように、生産性が高くなるように、出世するように、


恥ずかしくないように、こうすべきだ、 そうすべきでない、、と洗脳されながら育てられる。


いつしかそれは、頭のどこかに住みだし、耳元でささやくように語り始めるのだ。


それをエゴを監視するスーパーエゴというものらしい。


一挙手一投足のたびに、すべきか、すべきでないか、無意識に自問自答している。


現代人はその無意識の自問自答を一日に数万回繰り返しているという。


当然其々の個性があるから、人によっては適応しづらい場合もある。


適応したいのに、すべきなのに、適応しきれないそのギャップは


その個性を殺して行く。

人によっては病としての表現方法を選択するかもしれない。

願わくば後輩たちよ、できるだけ自分の子供たちに、数値化した対象として


比較、競争の中で育てないようにお願いしたい。


それはそのスーパーエゴの力を増幅させるからだ。


外側に適応することでの安定ではなく、内側の静寂を見つめることによる安定


を求めるような人間に、根拠のない自信をもてる楽観的な人間に育つように。

では、我々のようにスーパーエゴに苛まれている大人たちはどうすればいいのか。。


それは、意識的にスーパーエゴに反逆していくしか方法はないのだ。


自分の中のスーパーエゴって考えたことありますか?

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスのダイアログの中で、


ひょっとしたら、フェルトセンスとして出てくるかもしれません。


2011年8月19日 (金)

闇の夜の

  

「闇の夜の、鳴かぬ烏(カラス)の声聞けば、生まるる先の父ぞ恋しき」

大手合気道業界の師範と話す機会があった。

そしてこの歌のことを説明された。

現在成新会合気道の教えにかなり傾倒しているので、

方向性の違う教えをいただいたら顔に出るかもしれないと

多少戸惑いがあったのだが、

実際聞いてみるとおっしゃる内容はそんなに違和感のある内容では

なかった。


これは、白隠禅師が作った禅公案のような歌なのだそうだ。

ググってみると、少しずつ言葉が違っていたり、作ったのは一休さんだと

書いているところもあるので、少々間違っていてもご容赦お願いしたい。

細かく読むと、


  真っ暗い闇夜で黒いので目に見えない烏の、

  またその鳴かない烏の声を聞いて、

  生まれる前の父親を恋しいと思う。


わけがわからない。

その師範はこの歌を取り上げて、

合気道を形ではなく、頭だけで解ろうとせず、目に見えないものを感じるよう

にしてやりなさいということが言いたいのだ。


昔ならそういう漠然としたことを言われても、

ありがたく、曖昧に、納得していたことでしょう。


形にない、目に見えないものとは、

こういう風な感じで、語り継がれていくのだ。

そして、聞かされるほうは感慨深く

素晴らしい教えをいただいたと思ってしまう。

それだけでは無意味だとわかっていないのだ。


必要なのは、頭では理解できない、その目に見えない

ものはどう感得していくのか。。という手がかりなのだ。


大概、武道ではそいうことは、この禅の公案のように

それは自分で会得しなさい。。となる。


そういう物を一から十まで全部教えてもらえるとは思っていない。

その方向性を指し示してもらえる何かが必要なのだ。


かといって、成新会合気道の緻密な教えも、

出来ないと同じではないかと思ってしまいがちだが、

方向性を知ってやるのと、知らないでやるのでは

全く変わってくるのだと思う。


大手合気道団体の稽古システムではそれが出来ない。

それだけはハッキリわかる。


ただ、その目に見えないものを習得することを目標にしたとたん


少ししんどくなる。


その目に見えないものとは真理だからだ。

でも、そういう真理を知りたいと思って合気道をやらなければ

無駄な時間を送るだけである。


そして段々真理を得ることは不可能ではないのかと思い始める。

なかなか辿り着かないからネガティブになってしまうのだ。


しかし、光明を得たいと思うのなら、

それが可能だと考えてやるしかない。

そしてそれが真理だと信じるしかない。


大体の人は、無意識的に出来ないと思ってやっているのだ。

最良の道は、出来ると思って、やり続けることだけなのだ。

2011年8月18日 (木)

心が脳を変える (著:ジェフリー・M・シュウォーツ)

最近この本を読んだ。

この本は強迫性障害の克服に向けて書かれたものだ。


強迫性障害とは、

よく耳にする1日に何十回も手を洗ってしまう人のことだ。

他にもいろんな症状がある。

いろいろ細かいことが書いてあったが、端折って説明すると、

そういう人たちは、そんなに何十回も手を洗うなんておかしい、、

と思いながら洗っているようなのだ。

でも、なぜそれを抑制できないのか、、

理由は、そういう脳の回路が出来あがっていて、かつ強化されいて、

その神経回路があるキッカケで作動してしまい、意志に反して行動して

しまうという障害というわけだ。

その背景にあるのは、不安というような感情などが起因していると思うのだが、

もうここまで来てしまうと、太刀打ちできなく、いくらその感情による原因を克服しても

機械仕掛けの手を洗うロボットは制御できないのだ。

ではどの様にしてその障害を治すのか?

意志(心の力)で、出来あがったそして強化され太くなった神経回路、、

脳の作業地図を変更する、つまりプログラムを書き換え可能だという理屈を展開する。


どうも科学では、「心」とは脳の神経回路の無数の組合せで起こる

電気的なスパークの結果であると考えられているというのが大方の意見で、

その結果である心(意志)のほうからの力で可塑的に脳を変化させるということは

あり得ないということなのだが、この本ではそれを反証していく。


う~ん、、、


でも、普通、人って根性で成し遂げる、、っていうことよく言うし、

そんな脳の可塑的変化とまで突き詰めて考えたことなかったけど、

心の力で脳を変える、、ってそんなに凄いことでもないように思ってしまいます。


でも、じゃー根性でそう思って、強迫性障害を治せるかというと、そう簡単ではない。

ちゃんとした認識をもって、ちゃんとプロセスを踏んで、

根気よく繰り返すということが必要なようだ。

そのプロセスとは、


「ラベルの張り替え」、「原因の見直し」、「関心の焦点の移動」、「価値の見直し」の


4段階のことをいうらしい。


その障害行動が出た時に、客観的に気づきながら、上記プロセスをもって認識を変えていく。

そしてそれは脳の作業地図を変えることそのものであり、

そして、これは子供だけでなく大人でも脳神経を成長、増殖させることができるという証明

にもなるということだ。


これはまさに認知行動療法だというのだ。


そして驚くべきことは、同じプロセスの手法の瞑想が2500年前から行われていたというのだ。


それすなわち、仏教のヴェヴァッサナー瞑想のことだ。


あと、Who Is In ?(あなたの中に誰がいますか)の瞑想ワークも同じだ。


その瞬間、瞬間に起こる感情、思考、感覚を気づきをもって認識して表現していく。


この本は、これらの理由付けのために、量子物理学理論でもって内容を展開していく。


最初、強迫性障害の話だったのが最後のほうは量子理論で果てしなく話が拡張してくので、


読んでいて正直しんどかった。

でも、人の意志と行動のプロセスにおいて、大切な示唆をもらった。


というのは、今までは


「人はある行動をするのにそうしようと考え、そのコンマ何秒後に行動をする」


というところだけをクローズアップして記憶していたし、


だから、空手において「宇城憲治師に学ぶ心技体の鍛え方:小林伸也」にも


書かれているが、思った時点と打つ時点のコンマ何秒かの間に攻めるというような説明も成り立つ。


しかし、それだけだと成新会合気道の「相手の打ち得ざるところを打つ」という境地

をチャント説明できないのだ。


この本(心が脳を変える)の説明だと、打とうと思うまえに既にそれまでの流れで


無意識に打つ準備と行動が起こっていて、そしてその次に自由意志として「する」か「しない」かの


選択をその時の「関心」でもって行い、そしてその意思決定でもって行動をするというのだ。

当然わずかコンマ何秒かの間に、、だ。


このプロセスだと「相手の打ち得ざるところを打つ」をチャント矛盾なく説明できる。


打つという行為を敵対心という意識ではなく打つ。。


それによって、相手は打とうという意識ではない対峙者に出会い、


無為の「打ち」に打たれる。


すなわち、新成会合気道は、認知行動療法であり、ヴィヴァッサーナーなのである。

2011年8月 4日 (木)

内臓ワーク (会社の女性⑫)

会社の女性社員が体調が悪いということで、クラニオセイクラルバイオダイナミクスの
施術の依頼があった。

普段から便秘ということと、生理が来そうで来ないという訴え。

とにかく調子が悪いらしい。

全体的に排出が滞っているというところか。。

クラニオセイクラルバイオダイナミクスでは、

内臓ワークというものがある。

知識としては、胎生学のなかで、内臓の発生プロセスを教えてもらい、

そして、内臓ごとの発生にともなう動きを認識していく。

その微妙な動きを、感知していく。

内臓に限らず、他の組織も、自発的に動くという意味のモティリティーと、

他からの連動による動きのモビリティーがある。

そして、言うに及ばず、脈拍のリズム、呼吸のリズム、、

一体どれだけの動きが同時に発振されているというのか。。


どんだけー。。。。だ。


オステオパシーには、内臓マニュピレーションというテクニックもあるらいいが、

クラニセイクラルバイオダイナミクスの内臓ワークとの考え方と違う、、

なんてことも教えられる。

同じ根っ子を持つハズのに、なぜ違うのか。。。

様々な疑問が溢れ出る。


まじめに考えていると発狂しかねない。。


とにかく、触って感じることに注力するしかない。


ところが、触ってみると、なにかしらリズムの質の違いを感じられて、

それなりにチューニングできる。

それは、その部分に緊張集中している時は感じられず、

全体的な弛緩集中しているときに感じることが出来る。

おそらくそれが、瞑想的な感覚と共通しているのだ。

繰り返しだが、合気道も同じだ。


瞑想的な質をもって、施術する。

しかし、行きっぱなしでは話にならない。

そのリズムによる明確なる知覚がアンカーとなって、覚醒を促す。


その女性の体を触った時、

やはり、リズムの動きに力強さがなく、

動きをエンカレッジして、、、CV4の概念も使い。

終了。


翌日の感想としては、

不思議というか、当然というか、

両方の排泄があったことの報告を受ける。


可能性としては、この施術が無くてもこの結果に

至ったかもしれない、、という考え方もある。


しかし、ここで重要なのは、この女性の排出に関する

苦しさを克服しようと思う気持ち(心の力)が、

手段的にクラニオセイクラルバイオダイナミクスを選択した

だけのことであって、基本的にはその人がもつホメオスタシー

を働かせたというだけの話なのである。

2011年8月 1日 (月)

「かんなぎ」

実はかなりなアニメ好きである。

タイトルの「かんなぎ」というのは、

つい最近まで深夜にやっていたアニメの題名だ。

すべてのアニメが良いとは言わないが、

何の気なしに見始めたこのアニメに何か引き込まれた。

内容としては、町の神社にあった神木が、開発か何かで伐採され

そこに宿っていた神があるタイミングで女性の人型に顕現したという

アニメでしかあり得ないストーリーなのだが、

何の違和感も感じずその世界観に没入できる。

キャラクター同士の会話の掛け合いや、間合い、しぐさなんかが

凄くセンスがいいというか、緻密に表現されているというか、、

すごく質が高い。 

最終的には、アニメだからショウガナイない、、、

なんて妥協して自分に言い聞かせるどころか

この作者や、声優にまで興味を抱き、インターネットで調べてしまった。


で、、

何がそこまでさせるのかというと、

最終回に至るまでの最後の2、3回の内容が、

なんと、神であるハズの主人公の「なぎ」が、

自分が神である根拠を疑い始めるという展開に起因する。

自分が神であるという確証が持てないがゆえに

不安に陥って、苦しみ始める。

そしてクライマックス、、一緒に同居している男の子との

やり取りの言葉の羅列が下記のとおり、

どちらがどう言ったとかは、どうでもいい。

連続で読んでほしい。


***

「自分がわからない」

「自分のことを全部わからなくて怖くなったんだ、だから隠そうとした」

「そんなことは、どうでもいい。子どもころにお前に会ったことを覚えている」

「その頃の記憶を大切にここまで来た、だから神だと信じる」

「自分は神だと思う」

「でも、それを裏づけられない」

「それを支える自我が不足している」

「曖昧、欠落、わからない、、この脆弱な自我は、、」

「これでよく今まで、プライドを張り子にして生きてきた」

「おまえの記憶が途切れても、おれはお前を観てる」

「2人だったら、きっと見つかる、一緒に探そう」

「お前の不安の正体を見つけ出そう」

泣き崩れ、しばらくして泣き止み、恥ずかしそうに顔を上げる。

***


なんと、人が病むプロセスと、克服し成長するプロセスを

まさに表現している。


また、神という字の部分を、神性、仏性、真我、、、などの言葉と組みかえても読んでほしい。


ほとんどの人は、自分が誰なのか突き詰めて考えない。

大概の人は、自分の曖昧さ、欠陥などを極力見ないように

社会に適応するように無意識に生きている。

しかし、いつか必ず壁にぶち当たる。

すべての人が、どう転んでも立ち行かない不安に、苛まれる。


これはクラニオセイクラルバイオダイナミクスのなかでも起こるプロセスだ。

いかに自分のことがわかっていないか、誤魔化そうとしているか、

それを引き出して、気づかせる。

でも、エゴをもって介入はしない。

ただ、観てるだけ、、、相手の生命力をオブザーブしているだけ、、、

いいオッサンが深夜テレビで、非現実的なアニメに没頭して、

このシーンでは少し「なぎ」のことが可愛らしいなんて

本気で思っている絵を客観的に思い浮かべた。


よくよく調べてみると、

このアニメは非常に人気があるらしく、

今回も再放送で、世界中で放映され見られているているようだ。

このアニメの完成度は作者とそれに関わるスタッフの賜物だとは

思うが、かなり人の心に関して本質的な理解がないと

この内容のシーンは作れないのではないか。。

すばらしい。


作者は病気療養だったという情報もあったが、

一度、クラニオセイクラルバイオダイナミクスを受けてもらい、

感想を聞いてみたい。


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