2016年11月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      
無料ブログはココログ

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »

2011年6月

2011年6月29日 (水)

光輪洞合気道


タイトルの名前は現在習っている成新会合気道の源流です。


「光輪洞合気道」にいた現成新会合気道の方々は、

当時と現在は質的に全く違う稽古内容であるとおっしゃられます。

源流を同じにしてなぜそんなに違うのか。。


確かに、植芝盛平先生の合気道の支流でも、合気会と養神館とで似てるけど違う。。

同じ合気会でも各師範によって、また全然違う。。


わからないことも多いが、いくつかハッキリしたことが言える。

教える方も日々成長しているので、教えた段階で内容(質感)が変わってくる。

また、受け取る側のセンスによっても変わってくる。

結果的には 100人100流、、だとうことか。


気をつけないといけないことは、

中には自分の勝手な解釈のもと間違ったことを教えている可能性があるということだ。

そこを見極めるのは非常に難しい。


少なくとも明言出来ることがある。

合気会での稽古システムの中心となっている型は、外側の形は教えているが、

質感はそれこそ師範によってマチマチである。


ところが、どちらかというと、、

成新会合気道の稽古は型はあまりなく、数少ない形による稽古であっても、

シモク、ハンミ、氣発、腰回し、写し目、浮、遊、腰回し、円転無窮、球理、受けて樹つ、

入身の真、、、等々  そういう言葉でもって、あるひとつの質感と思想を表現し教える。

合気会で習う人たちは、形は同じでも人によって技の質感は違ってくるだろう。

成新会で習う人たちは、形は違っても人によって技から受ける質感は類似するだろう。


と、ここまで書いていてなぜそんなに、質感にこだわって書いているのだろうと

自分でも不思議に思う。

そのくらいにまで、2団体の質感が違うのだ。。


質感(クオリア)って大切だと思う反面、伝えるのはむずかしい。


平井稔先生は

「あまり同時に沢山の人は教えられない」  と仰っていたそうだ。

まさにそのことを表している。


クラニオセイクラルバイオダイナミクスも同じだ。

プラクティショナーとクライアント間の質感を感じることが重要なのだ。

施術している時の質感が大切なのだ。


それらは言葉では伝えられない。

感得してもらうしかない。

2011年6月21日 (火)

お利口さんをほめない。

我々の社会では、頭の良い人、生産性の高い人をやたらほめる。

当然の話だと思うだろう。

生まれた時から、お母さんから、優れた人になるように望まれ。

お母さんのフィルターを通して、社会の決まりを教えられていく。

お母さんから褒められたいと頑張る。

でも、ほんの些細なキッカケから、得意不得意ができてくる。

それをことさらにお母さんは評価、比較する。

比較される対象は目に見えるもの。

結果として現れやすい、数値化しやすいもの。

いつも、自分の評価を気にしなければならなくなる。

内面に向き合うことを教えてもらえない。

そうしているうちに、理想と現実にギャップが生まれてきて、人によっては心が病んでくる。

病としての表現 は様々だ。


合気道をやるということは、内面に向き合うということだ。

怒りや不安がいかに体を傾け、委縮させるかを理解する。

相手をやっつけようとする時いかに抵抗をうけるかを再認識する。

技を受けて/出している時の分析、思考がいかに遅く無駄かを勉強する。

本来的な格闘において、エゴ(感情その他、、)は邪魔者だ。

つまり、合気道の稽古ではエゴの排除を勉強する。

見た目を整えただけの人、今までお利口さんだった人は戸惑うに違いない。

ベテランの人であたかも内面の世界を理解しているようなことを言う人もいる。

でも、技が力技であるか否かで大体分かる。

そこを気づけない人は、違和感がでてきてだんだん合気道が嫌になっていく。

競技が無く、外側からみた優劣がつかないので物足りなくなったりもするだろう。

ただただ、自分が整うことを目的とする。

そこに、お利口さんは不要ということである。

合気道は、社会の病を緩和する。。かもしれない。


2011年6月16日 (木)

会社の女性社員ともうすぐ社長になられる方の施術 ⑩⑪

それぞれの方がそれぞれの状態でクラニオセイクラルバイオダイナミクスを求められてきました。

細かい症状はいろいろありますが、

共通的にいえる感じは、なんか気苦労でもがいている感じ。

疲れている。

ドンヨリした感じ。

施術中に話かけても、あまり反応はありません。

ひたすら、変性意識状態。

触ってくれとアピールしてくる場所があり、

女性社員の方は踵でした。

でも口頭で訴えられていた場所は背中、そして肩が痛いということでした。

でも体は踵を触ってもらいたいとうったえるような感じ。

もうすぐ社長になられる方は胸。第4チャクラの辺り。

触っていて他と違う質感がある。

触覚ではなく、なんかその部分をさわると寂しい感じ。

そんな感情が込み上げてくる。


なんだろう。。。気のせいか。

最近少しわかったことがある。

先に書いたように変性意識状態ということに関してだ。

違う表現でいうと、瞑想的な質感ということ。

決して1つのことに集中していない。

全体を感じて受け入れている。

寝ているような静かな状態だが、なんか覚醒している。

緊張集中ではなく、弛緩集中。


こういう状態でいると、

普段感じない微妙な感じが、とても敏感に感じられる。

そして何よりも気持ちがいい。

合気道も同じだろうと考えるようになった。

そういう意味での、無の境地や、観の目なのだろう。

そこを目指さない競技武道とは180度違う異質のものだ。


クラニオセイクラルバイオダイナミクスを施すと

合気道の感覚がよくなる。


合気道の稽古をすると、

クラニオセイクラルバイオダイナミクスの感覚もよくなる。


そう考えるのは僕だけだな、、きっと。


2011年6月14日 (火)

敵愾心(てきがいしん)

稽古をしているとき、意外に気づいていないのが、「敵愾心」 である。

自分の中に、無意識に「敵愾心」が宿っている。

試合のある武道または格闘技では気づくもなにも、

殺す位の気持ちで戦えと教えられるかもしれない。


防具を付けた剣道、グローブを付けたボクシング、顔面を殴らない空手、

投げに固執する柔道、パワーとスピードで型稽古する合気道も同様だ。


「敵愾心」というエゴを強化し、それをバネに技術を積み重ねていく。


その延長では、よっぽど実力差がなければチャンバラ、揉み合いになる。


だから、ルールやレフリーが必要なのだ。


真剣の前では、その技術の積み重ねでは如何に心もとないかを悟るに違いない。

その時に感じる恐怖を想像してもらいたい。

成新会合気道では、「敵愾心」を無くせ、、と教わる。

「円和」しろと教わる。

相手をやっつけよう思った瞬間にだいたい自分の体は傾いている。

どういう風に攻撃しようかと思った瞬間に相手はそれに抵抗する準備をしている。

「敵愾心」の無い相手と対峙した時、如何にこっちらの勢いがそがれるか、、

または、”あれ!?”、、と気持ちが乱れるか、、

そして「敵愾心」の無いやさしい顔をした相手が攻撃してきたとき、如何に恐怖を感じ、のけ反ってしまうか、、

たとえこちらが真剣を振りかざしていたとしても。

そういう感覚を一度経験してもらいたいものだ。

2011年6月13日 (月)

整体の先生とのセッション 第4弾 ⑨

2週間ぶりのセッションとなる。

頭から、首、背中、踵の順番にすすめる。

東洋医学系の整体の先生なので、やはり、経絡をかなり意識して、

施術中にも感じようとしているようだ。

口からは、心の経絡が痛い、、とか、 脾の経絡を感じる、、とか、

とても興味深いことをおっしゃられる。

クラニオセイクラル・バイオダイナミクスは、リズムとしては、CRI、ミッドタイド、ロングタイド、、

の3種類をチューニングするトレーニングをする。

その感じる対象としては、液と組織とポーテンシーの3種類あると教わる。

液とは脳脊髄液などの体液、組織とは膜、骨、そしてポーテンシーとは生命の潜在力といういうことで

すなわち生命エネルギーのことである。 

当然、氣の通り道の経絡を感じることはありうることだ。

3つのリズム動きを、3つの対象に感じることが出来るのであれば、

計算上は3×3の9通りとなるが、でも、

ロングタイドは対象に依存しないハズなので、、、

実質は7通りを感じ分けることが可能ということになる。


今の私は、それらの7通りを律義に感じるように努めてはいない。

何となく自分の感性に合った対象とチューニングしやすいリズムで施術している。

その中の動きでアンバランスさを感じ、ポーテンシーにバランスを整えるようにお願いしていく。


今回の整体の先生も毎回感じるのであるが、エクサレーション層が弱く感じる、、。

それに対して、弱いエクサレーション層の最後の極で、もう少し時間が伸びるように、

そして、そこからスティルネスに入るようにお願いする。 


生命力に休息を促す。


クラニオセイクラルバイオダイナミクスでは、それを”CV4”と呼ぶ。


とても観念的、感覚的なやり取りだ。


でも、だから出来る。


これが、具体的な体の動きにそって、その動きのタイミングをはかって、

体に働きかける、、、所謂手先のテクニックだとしたら到底できない。 やれる気がしない。

繊細でとてもむずかしそうだ。。

習ったことはないが、アプレジャー系のバイオキネティクスではCRIの細かいリズムで

これを実践しているのだろうか。。。


合気道などの武道といっしょにするな、、と言われそうだが、、

技のテクニックをたくさん覚えても、その技術の角度、タイミング、力の入れ具合を気にしていたらキリがない。

こちらの観念的な、感覚的なもので、相手の体ではなく意識的なところ、感覚的なものを制御する。

それが、上手というものである。


話はもどして、、、


そういうポーテンシーに語りかけるだけでも、面白いことに動きは整っていく。


そして、気持ちよく、スッキリするとのこと。

以前、オステオパシーの有名な先生が日本にこられて講演を行った際、

クラニオセイクラルバイオダイナミクスはエネルギー療法ではない!

とおっしゃったそうだ。

翻って、私が習った女性の先生は、

人間は、エネルギー無しでは生きていけへんのに、

エネルギー療法で無いわけがない!!!

と関西弁をまくし立てて、のたまわれた。

そう言われれば、そうだ。。


でもそういう意味では、すべてがなんらかの意味でエネルギー療法だということになる。。

2011年6月10日 (金)

浮の境地

他の武道では丹田を意識する際、どういう意識の仕方を教わるのだろうか。

ネットでいろいろ調べると、様々な表現がされている。

丹田を鍛える、、だとか、

丹田に力を入れる、、だとか、、

丹田から力を出す、、とか、、、


ご存じの通り、丹田とはそういう臓器が存在するものではない。

そこに構造上か何か中心になりうる質感があるので、そういう名前を付けているのだ。


そしてそこを意識する時、成新会合気道で指摘を受けるまでは、

いままで少なくともハラを力(リキ)ませてました。

要するに、力ませてその丹田の部分を感じるようにしてました。

そういう人結構多いのではないかと思います。


丹田を感じろ、、と言われるけれども、

よくよく思い起こすと、感じる為にどういう風にしろとは教えてもらってないことに気づきました。

聞き洩らしているからなのか? 

いや、、こんな大切なこと、判っているのならならチャント教えるハズだ。

で、成新会合気道では、どう教えるか。。

ハラの力(チカラ)を抜け。。だった。

技をかける時、ハラの力をいれて、渾身の力で投げるときそこにはエゴが働いている。

そして、抵抗が起こる。


ハラの力が抜けていて、でも充実してる状態で技をかける時は、エゴが働かないので

相手の抵抗は受けずに、自分の姿勢は崩れない。

球が浮いているような状態。。 

それすなわち 「浮」 という。

でもそこで疑問がでる。

力で押しこめられた状態で 「 浮 」 の状態でいられるのだろうか。。

そこで、こう教えられる。

「 浮 」 とは境地である。 物理的に浮いていられるわけが無い。

ただ、考え方として、床から浮いているというだけでなく、道場の壁や、天井など、

四方から浮いているイメージを持つように言われる。

そこでやっぱり、身体的条件として絶対必要なことは。

ハラを力ませないこと、、なのである。


2011年6月 7日 (火)

武道の必修科目

日曜日の夜中にNHKでドキュメンタリー番組をやっていた。

内容はタイトルの通りで、あと1年くらいするとそうなるようだ。

ということは、体育とは別に武道という科目ができるということか?

私が中学、高校の時は体育の中でチョッとだけ習ったという記憶がある。

まったく、足しにならない授業だった。

今後その武道科目は、学校によって柔道、剣道、相撲の3択になるということだ。

合気道もその選択肢に入るようなことを以前聞いたような気がしたが、

そんなことはおくびにもでなかった。


どうやら7割の学校が柔道を選択するようだ。

ところが問題が浮かび上がる。あまりにも死傷事故が多い様である。

そして、ダントツに急性硬膜外血腫だそうだ。


生徒同士が受身の取れない状況で頭でも打つからなのかと思ったが、

指導者がフラフラの生徒を勢いよく投げてそうなったケースもあるそうだ。

また頭を打たなくても、受身による体への衝撃だけでもなるということで、

要するに、頭を振られることにより、脳と硬膜を連絡する静脈の断裂によって生じるのだそうだ。

明らかに、稽古システムと指導者の問題である。

稽古システムとしては、やはり競技を前提としているため、

プロセスよりも結果オーライの技の探求方法。

その技を教えるときに、身体能力が高い子供が無意識的に上手に技を使うことを良しとし、

そのプロセスを味あわせる教え方をしていないという問題。


指導者としては、武道としての柔道を教える力量が足りていないという問題。


こんな状況で武道必修を進めてもいいのでしょうか。


番組では柔道教育先進国のフランスの例を紹介していた。

柔道人口は日本の3倍、指導者資格は国家資格、その資格カリキュラムには医療内容も入っているそうだ。

素晴らしいことには違いないが、武道としての哲学を教えているのだろうか。。

それがちゃんとカリキュラムに組み込まれていなければ、もの足らない。

というより、意味がない。


教育を前提とした武道としては、試合形式のない合気道のほうが向いているような気がするのは私だけでしょうか。。


2011年6月 3日 (金)

全日本合気道演武会

日本中の合気会系合気道の全国のの方が、日本武道館に溢れるくらい集まり、

演武を行う。1年に一度の恒例行事である。

このご時世に、たかだか1分とか2分の演武ために、わざわざ集まるなんて本当にすごいことだと思います。

ここまでにした合気会の努力はすごいな~と思います。

確かに、型稽古って面白い。

型の中で思いっきり勝負できる。

試合ではないけど、型の中での競技のようなものだ。

上手くいけばとても達成感がある。

上手くいかなければ四六時中、上手くいかなかったことの分析をする。

良いと思う。


何年も続ければそれなりに上手くなる。

でも、そこから先を教えてくれる先生、師範が少ない。

いや、いない。

ほとんど、技法ばかり。 丁寧にカタチを教えてくれる。 

本部道場の師範でも同じだ。

言わないけど、感じて盗め。。なんていうオチか?

いや、そんな雰囲気は一つもない。


ひょっとしたら、

後は自分で自分の解釈の元、それぞれが境地を開拓しろ

ということなのか?


おそらくそうなのだ。

師範といえどもそれから先のことは教えてもらっていないのだ。

カタチのない、目に見えない世界のことをチャント教わっていないのだと思う。

7段や8段の師範でさえ、暗中模索なのだ。

思い込みでわかったような気になっている人もいる。


その先のことを教えてもらえるところがある。


↓↓↓
http://www.geocities.jp/ichigenjuku/index.html/

体得できるかどうかは別の話。

試してみる価値はある。

2011年6月 2日 (木)

整体の先生とのセッション 第3弾 ⑧

大変疲れているということでした。


頭蓋から細かく確認しながら、始めることにする。

ベッカーホールド、側頭骨、頭頂骨、前頭骨、後頭骨、

後頭三基、胸椎1番、肩、胸郭上口、、、、、

今日はそれぞれの動きの再確認。。

全体的にインハレ層が強く、エクサレ層が弱い感じ。

最後に仙骨に触りました。

とても動きが弱いというか、、少ないというか、、

しばらくして、動きが戻ってきた感じがしたので終了とする。

いつもより長く1時間15分くらいの時間を使いました。

施術後の感想としては、本当に疲れが抜けた感じがするということ、

体が軽くなったとも、でも途中で頭に浮かんだイメージを話された時

頭に浮かんだことを、話すのを躊躇しました。。というようなことをおっしゃられました。

ダイアログの中では、すべてを話さなければいけないということはありません。

大切なことは、その躊躇したその瞬間、そのさらに奥にどういう感情があったのか、

体の中で何か感じられたのか、、それを気づいてもらうことが大切なのです。


そしてそれを促すのがプラクティショナーの仕事なのですが、

今回は、そのタイミングを逸してしまった。。

未熟さを痛感しました。

今日は全身を触ってそれぞれの動きを感じてきましたが、

今後の課題としては、サザーランドフォルクラムやその他のナチュラルフォルクラムを感じて、

全体的なステートオブバランスをもっとチャント感じられるように練習していきたいと思いました。


ちなみに後日、施術翌日の感想を聞いたところ、

よく眠れたが翌日から風邪をひいてしまったということでした。

東洋医学系整体の先生なので、好転反応がでる境目の症状のように解釈されてました。

俗に言う、瞑眩(メンゲン)反応のことだと思いますが、

一般の人だと、どのように解釈されるのだろうと少々心配になりました。

« 2011年5月 | トップページ | 2011年7月 »