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2011年4月 5日 (火)

求心的投げ

成新会合気道の成田先生に投げてもらうと、

求心的に崩されて、全て先生の足元に落とされる。

足巾せまく、終わった後、何事もなかったようにスッと立っている。

そして、投げは単なる所作であるとおっしゃる。

重要なのは崩すことであり、その段階で終わっている。

投げ(斬る)は単なる後始末であると。



逆に、合気道業界最大手の団体の師範の方々の投げ技を良く見てみると、

遠心的処理だということがよくわかる。

足巾広く、重心は前か後ろに偏っている。常に出すことだけを意識している。

投げにこだわっている。



成新会合気道には中心帰納という言葉がある。ゼロになるということである。

スッときれいに、中心線が傾かない姿勢になる。

少し前に氣発という概念をお伝えしましたが、それが出るということなのです。

そして、氣は出っぱなしではなく、自分の中心に戻さなくてはいけない。

それが中心帰納。 

何か呼吸みたいだ。



大手団体には、呼吸力という言葉がある。

これは肺呼吸の方法でなく、合気道的な力を表現するときに使われる。

でも、様々な曖昧な説明を受けることになる。

其々の師範の独自の解釈が含まれていてハッキリいってよくわからない。

年をとっても、身体能力が低くても、この呼吸力を養えば、合気道的に強くなる。。

みたいな。。感じ。



しかし、この呼吸力、、

先ほどの、出る氣と、戻る中心帰納を考えた時、

これが本当の呼吸力のことなのではないかと思い至る。

大手団体の師範クラスの人もこのことを知らないのではないか。。

なぜなら、今の大手団体には中心帰納に相当する概念がまったくないからだ。



氣の出っぱなしの戦いは、シャモの喧嘩のようである。

モミクチャの団子になってしまう。

型だから、ある程度整然としているように見える。



中心帰納を内在したやり取りの凄さを、美しさを、是非とも感じてもらいたい。



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