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2011年4月

2011年4月22日 (金)

整体の先生の施術 第2弾 ⑤

東洋医学系整体の先生との交換セッションの2回目を行いました。

見た感じ少しお疲れなご様子。

この数日いろいろと腹立たしいことがあったということです。

今日は全体的というよりも、

前回、喉から胸郭辺りに緊張が強かったので、

そこら辺に手を触れていくことにする。



その前に、忘れないうちにリソースを聞く。

リソースとはクライアントさんが心の拠り所としている

オアシスのようなもで、整体の先生はネコを選定。

これは、何かトラウマ的事象が出た場合の避難場所だ。

実際にはまだ使う場面に遭遇したことはないが、

クライアントが何か感情に巻き込まれたときに、

プラクティショナーはリソースの方に言葉で導いていくという手法を使う。

それは場合によってはトラウマの事象とリソースを何度も往復することから

シャトリングと表現もするし、

トラウマの事象を希薄化させて受け止められるようにする作業ということで、

タイトレーション(中和滴定)ともいうらしい。

いずれにしても、再トラウマ体験をさせるなどという過激な方法ではなく、

少しずつ慣れさせて、本人にトラウマを解釈させるようにする方法である。



さて、いつもとおり胸郭上口からスタート。

まず、右手を胸郭の上部に置いてみる。

やはり、動きがわるい。

5分くらいすると微かに筋膜の滑走が出てきて、

喉がいがらっぽくなったらしく、咳が出始める。

そして、左手を胸椎1番辺りに持っていきサンド状態に。

ただ、前回手を差し入れる行為が強く意図を感じたということ

でしたので、今日は少し首を上げてもらいゆっくりと確実に

目的の場所に置くようにした。

しばらくして、喉に差し掛かるように手を当ててほしいという要望が出る。

そこに何か感じることがあったのだろう。

そこから10分程サンド状態。その間スティルネスからホリスティックシフトへ。

その後、胸骨、横隔膜に移る。横隔膜は胸椎12番辺りとの左右掌のサンド。

背中の動きも初めはイビツだったが、ねじれている感があったようで、

動きたい方向に動いていいですかとの問いがあり、

どうぞどうぞと促し自分で姿勢を整えることで、ミッドタイドが整った感じになった。

これは、操体法と同じ原理ではないかとも想像する。

最後に両肩に移動してミッドタイドを感じ、約45分で終了。



瞑想好きの先生なので、このクラニオセイクラル・バイオダイナミクスの

施術で同じ感覚を味わってらっしゃるようだ。

胸も楽になり、とても活力が出てきたとのこと。



ありがとうございました。



2011年4月15日 (金)

整体の先生(40歳くらい)の施術 ④

東洋医学系の整体の先生と知り合いになりました。

交換セッションの依頼をしたところ、ありがたいことに快諾いただき

今回は私が施術することになりました。

秘めた情熱をもったそして一本義な感じ。

武道、瞑想などの話も非常に話が合う。

出会えたことに感謝。



さて、施術開始。

仰向けになってもらい、お互いのフィールドを確認、感じながら、

いつもの、胸椎1番辺りに手を差し込む、

手の納まりがいいかどうかのネゴシエーションをする。

お初でかつ整体の先生ということで、やはり僕自身が緊張している。

ま、それも仕方がないとその状況を自分自身受け入れるようにする。

しばらくすると、微かにカオスな動きと、ミッドタイドを交互に感じ始める。

動きが悪いので胸郭上口部にもう片方の手を置きサンドイッチに。

どうも喉の辺りから胸郭上口にかけて、動きが少ない、、堅い、乾いた、、

という質感。

ダイアログも開始する。何か体の中に感じますか?という問いに

仙骨と右足に感じるものがある。。という回答

さすが、体のことを探求されている方なので、

始めてなのに自分の中の感覚を正直に言葉にすることができる。

ミッドタイドが最初より強く感じられてきたので、踵へと移動する。

こちらも、すこし動きが悪く感じる。

左側の骨盤の辺りを中心に微かにクノ字になって左足を

牽引している動きを盛んにする。ミッドタイド、スティルネス、ホリスティックシフト

の後、左右の動きが幾分均等化したところで、ダイアログで背中に違和感が

あるということがわかったので、胸椎8、10、11辺りに手を置く。

先ほどの胸郭上口、踵と違って、非常にダイナミックな動きをする。

左側にカオスな動きがするが。ハッキリと力強くミッドタイドを感じる。

どちらかというとインハレーションが強い。

整ってきたので、仙骨へ移動。こちらも力強い動きだ。

そして頭蓋へ。ベッカーホールド。

こちらも非常に力強い、手を1cm程離していてもミッドタイドを感じるほどだ。

ダイアログでは頭が左右に揺れている感じがするということであった。

その後、首から肩へ。やっぱり動きが悪い。

動きが出てきたところで終了。



よくよく聞いてみると、喘息だったということ。

やはりその辺りの緊張がいまだにあるということだ。

繰り返していくうちにこの緊張は解けていくと思います。



施術後のシェアリングで、ひとつ気づきをいただきました。

手を体とベッドの間に差し入れるとき、非常に違和感を感じるということでした。

まさに差し入れるという強い意図をもって、乱暴に目的場所に手を置こうとしていたということです。



ありがとうございました。



2011年4月 7日 (木)

裏合気道

茶道の世界には、表千家と裏千家というのがあるらしい。

wikipediaを読んでみると、裏千家は表千家の分派ということが書いてあった。



今回、成新会合気道を合気道界の”裏”と表現しようとしたのだか、

茶道業界の裏と表の関係とは趣が異なることになる。



仮に、植芝先生系の合気道を”表”と表現するのであれば、

平井稔先生の流れの合気道は、本当の意味で”裏”である。

もっと言うと、光と影といってもいい。



以前に書いたことではあるが、

戦前、平井先生は岡山で武道を教えていた際、植芝先生と交流が開始し、

東京に誘われて皇武館の総務となり、

後に大日本武徳会の東京支部長も務めることとなる。

だが決して植芝先生の門人ということではなく、

ひょっとしたら、技や思想の交流はあったかもしれないが、

どちらかというと大日本武徳会内での仕事に従事したということが事実のようだ。



当時の武徳会では、武術の柔術、武器術などというように専門化や競技化の様相が

日本古来の総合的武術を消滅させかねないという危機感があったようで、

武徳会の柔道部門と剣道部門が協力して新たな総合武術部門の編成に着手し、

その名称を 「合気道」と決定したとしている。

そして、平井先生はその幹事として任命されたということである。



しかし現在、、

大体の人は合気道といえば、合気会、養神館等を想像する。

小さい団体もあるかもしれないが、ほとんど前述2団体からの支流である。

全世界でおそらく何千、何万という道場があるだろう。

まさに、表合気道だ。



稽古システムとしては、2人1組の型稽古。

まずは師範が模範を示し、弟子たちが2人1組で技を真似て繰り返す。



システムの長所としては、

形を真似るだけなので、老若男女誰にでもそれぞれのレベルに合わして稽古ができる。

型の範囲内での力、角度、スピード、タイミングなど修練は

独自に解釈して研ぎ澄ますことはできる。

よって、人数が多くても、要するに先生の目がチャント届かなくても、

それなりに稽古を進めることが出来る。



短所としては、目に見える型での大量生産システムなので、極意が伝わりにくい。

型の中での、運動としての達成感で満足してしまう恐れがある。



それに反して、成新会合気道は

悲しきかな、公共の道場 2か所で教えるのみ。

ある質感(極意)を伝えることを目標としているので、どうしても先生からの

手取足とりの少数での稽古システムとなってしまう。

表合気道の人は、存在すら知らないかもしれない。

マニアックな武道オタクの方がよく知っている。

まさに”裏(影)”的存在だ。



しかし習ってみると、これ(質感)が本来の合気道だということが実感できる。

表合気道を知っている僕からしてみれば、目から鱗だ。

表合気道の欠落した部分を持っている。

こんなに凄いのになぜみんなもっと注目しないのだろうとも思うほどだ。



おそらく、今の表合気道の型稽古では、この質感(クオリア)は伝わらないだろう。



このままでは、表も裏も駄目になってしまう。

なんとかこの質感を習得して、そして伝わりやすいシステムを構築したい

今日この頃です。



2011年4月 5日 (火)

求心的投げ

成新会合気道の成田先生に投げてもらうと、

求心的に崩されて、全て先生の足元に落とされる。

足巾せまく、終わった後、何事もなかったようにスッと立っている。

そして、投げは単なる所作であるとおっしゃる。

重要なのは崩すことであり、その段階で終わっている。

投げ(斬る)は単なる後始末であると。



逆に、合気道業界最大手の団体の師範の方々の投げ技を良く見てみると、

遠心的処理だということがよくわかる。

足巾広く、重心は前か後ろに偏っている。常に出すことだけを意識している。

投げにこだわっている。



成新会合気道には中心帰納という言葉がある。ゼロになるということである。

スッときれいに、中心線が傾かない姿勢になる。

少し前に氣発という概念をお伝えしましたが、それが出るということなのです。

そして、氣は出っぱなしではなく、自分の中心に戻さなくてはいけない。

それが中心帰納。 

何か呼吸みたいだ。



大手団体には、呼吸力という言葉がある。

これは肺呼吸の方法でなく、合気道的な力を表現するときに使われる。

でも、様々な曖昧な説明を受けることになる。

其々の師範の独自の解釈が含まれていてハッキリいってよくわからない。

年をとっても、身体能力が低くても、この呼吸力を養えば、合気道的に強くなる。。

みたいな。。感じ。



しかし、この呼吸力、、

先ほどの、出る氣と、戻る中心帰納を考えた時、

これが本当の呼吸力のことなのではないかと思い至る。

大手団体の師範クラスの人もこのことを知らないのではないか。。

なぜなら、今の大手団体には中心帰納に相当する概念がまったくないからだ。



氣の出っぱなしの戦いは、シャモの喧嘩のようである。

モミクチャの団子になってしまう。

型だから、ある程度整然としているように見える。



中心帰納を内在したやり取りの凄さを、美しさを、是非とも感じてもらいたい。



2011年4月 1日 (金)

相手の打ち得ざるところを打つ

自分が相手を打とうとすると必ず相手も同時に打ってくる。

すなわち相手も打ちうるところとなる。



対峙する相手に対して、そうならないように、

タイトルの表現のように教えられる。

つまり、打とうと思わないで打つ、ということ。



成新会合気道の先生は、相手を打つ時の記憶がないという。

そして、投げ技の時は、どういう技をかけたのか後になって思い出せない

状況を最上級という。

とても頼りない感じがするが、技は効いている。

その時相手は、勢いよく打ちこんでたのに自然と打ち手が止まり、

どういうわけか相手に打たれまいとして、のけ反っている。

投げられた時は、どうやって投げられたかわからない。

そして、やられて痛かったにもかかわらず、不思議と笑ってしまう。



型稽古ではそうはいかない。

まずは型どおりに打とうとして打つし、投げようとして技をかける。

受ける方は打ち方が分かっているし、技の内容も知っている。

どういう度合いで抵抗するかは受けの考え方次第である。

その抵抗に対して、分析して、角度とスピードと力で対処していく。

上手くいった時は、すこぶる充実感がある。

やられた方は、なんかくすぶった感情がのこる。



合気道業界最大手の団体は基本この型稽古である。

「相手の打ち得ざるところを打つ」 という稽古システムはない。

おそらく、こういうクオリアがあるということも知らない。



前回、前々回のブログ「こうすれば、、こうなる、、」 

「こうするために、、、これをする。」 という発想でないところが、

成新会合気道と、クラニオセイクラル・バイオダイナミクスの共通する

部分であり、それぞれの稽古/練習がそれぞれに役に立つということが

つまりは、言いたかったというわけです。。



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